「弥生 (睦月型駆逐艦)」の版間の差分
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{{main|ラビの戦い}}
その後、第30駆逐隊(弥生、望月)は第十八戦隊([[天龍 (軽巡洋艦)|天龍]]、[[龍田 (軽巡洋艦)|龍田]])、第17駆逐隊(浦風、谷風、浜風、磯風)、駆逐艦「嵐」等と共に『ラビ攻略作戦』に参加、部隊を上陸させるなどソロモン・[[ニューギニア]]方面で活動した。9月3日、連絡員20名をタウポタへ輸送する<ref>[[#戦史叢書南東方面海軍作戦(1)]]633頁</ref>。9月4日夜、「弥生」はラビ方面で連絡不能となった部隊を捜索すべく[[ミルン湾]]に突入、苦戦する[[海軍陸戦隊]]に糧食を渡すと負傷者224名を収容し、5日1時にラバウルへ向かった<ref>[[#戦史叢書南東方面海軍作戦(1)]]631頁</ref>。
9月10日16時30分、安武司令の乗艦する「弥生」は駆逐艦「[[磯風 (陽炎型駆逐艦)|磯風]]」を指揮下に入れ、ラビ攻略部隊を撤収させるためラバウルを出港した<ref>[[#戦史叢書南東方面海軍作戦(1)]]634頁</ref>。9月11日正午より、ラビの東にある[[ノーマンビー島 (パプアニューギニア)|ノルマンビー島]]の東方で[[B-17 (航空機)|B-17]]、[[B-25 (航空機)|B-25]]約10機による空襲を受け、後部への爆弾命中により舵が故障、続いて航行不能となり、16時15分沈没した<ref name="戦史叢書南東方面(1)636">[[#戦史叢書南東方面海軍作戦(1)]]636頁</ref>。安武第30駆逐隊司令も「弥生」と共に戦死した。沈没地点は[[ノ
「磯風」は回避行動を取ったため弥生沈没現場から離れてしまい、16時40分の日没と共に「弥生」救出に向かったが痕跡も生存者も発見できず、20時45分に捜索を中断してラバウルへ帰投した<ref name="戦史叢書南東方面(1)636"/>。同日20時20分、「天龍」「浜風」はラバウルを出撃して「弥生」沈没位置へ向かうが、12日の捜索では何も発見できなかった<ref name="戦史叢書南東方面(1)636"/><ref>[[#S1709十八戦隊日誌(1)]]p.9『天龍浜風ヲ率ヰ敵飛行機ノ来襲ヲ考慮(12日)同夜沈没地点北西方面海面及「ノルマンビー」島北東岸捜索ノ事ニ決セリ』</ref>。9月21日19時30分、「磯風」は「[[望月 (駆逐艦)|望月]]」と共にラバウルを出撃する<ref name="戦史叢書南東方面(1)636"/>。22日、友軍と協力して「弥生」カッターボートを発見し10名を救助した<ref>[[#S1709十八戦隊日誌(1)]]p.9『21日1930RR出撃磯風望月ヲシテ救出ニ向ハシメタルガ22日天候不良ニシテ上空哨戒機ノ発進ナカリシヲ以テ順延トシ偶前日味方戦闘機ガ「スルミ」沖ニテ発見セル漂流「カッター」ガ弥生ノモノナル算アリタルヲ以テ聖川丸水偵ト協力之ガ捜索ニ向ハシメタルニ右ハ弥生「カッター」ニシテ磯風ハ1300弥生連絡員10名ヲ収容、之ガ嚮導ノ下ニ在「ノルマンビー」島弥生乗員救助ニ向ヘリ』</ref><ref name="戦史叢書南東方面(1)636"/>。同日深夜、2隻は生存者の誘導のも
同年10月20日、駆逐艦「弥生(彌生)」は一等駆逐艦卯月型<ref>[[#内令昭和17年10月(4)]]pp.5-6『内令第千九百二十五號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十七年十月二十日 海軍大臣嶋田繁太郎|驅逐艦、一等卯月型ノ項中「彌生、」ヲ削ル|潜水艦二等ノ部「呂六十一型」ヲ「呂六十二型」ニ改メ同項中「呂號第六十一、」ヲ削ル』</ref>、
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