「第1次安倍内閣」の版間の差分

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==組閣の経緯==
[[安倍晋三]]は、この[[内閣 (日本)|内閣]]を「[[美しい国|美しい国づくり内閣]]」と命名し、[[小泉純一郎]]の[[聖域なき構造改革|構造改革]]を加速させ、補強していく方針を表明した<ref name="koizumikaikakuhikitugi2006">[http://www.kantei.go.jp/jp/abespeech/2006/09/26press.html 安倍内閣総理大臣記者会見 2006年9月26日] 総理就任記者会見冒頭で「まず初めに、はっきりと申し上げておきたいことは、5年間小泉総理が進めてまいりました構造改革を私もしっかりと引き継ぎ、この構造改革を行ってまいります。」と述べ、むしろ加速させたいとの考えを示した。</ref>。
 
[[国務大臣|閣僚]]経験がない[[塩崎恭久]]の[[内閣官房長官]]への起用には[[自由民主党 (日本)|自民党]]内からの危惧もあったが、安倍は新人議員時代から政策集団で共に行動して来た塩崎を抜擢し、「拉致問題担当相」を兼任させ、安倍自身の支持の大きな要因である[[拉致問題]]の解決への積極的姿勢を打ち出した。
 
[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]には総裁選挙で対立候補となった[[麻生太郎]]を留任させたが、もう1人の対立候補である[[谷垣禎一]](前[[財務相]])・[[谷垣派]]議員からは入閣なしであった。連立を組む[[公明党]]からは前内閣と同じ[[国土交通大臣]]のポストに[[冬柴鐵三]](党常任顧問)を起用した。
 
また、[[総理大臣官邸|首相官邸]]で活動する[[内閣総理大臣補佐官|首相補佐官]]を従来の2名から5名に増員し、[[国家安全保障会議|日本版NSC]]のたたき台となる[[国家安全保障に関する官邸機能強化会議]]を設け、首相官邸機能を[[大統領制]]的に強化しようとしたが、同じく[[内閣総理大臣|首相]]と所管大臣たちとの関係を取り結ぶ[[内閣官房長官]]・[[内閣官房副長官]]4名と首相補佐官5名との分担関係が逆に不明朗なものとなり、[[第1次安倍内閣 (改造)|第1次安倍改造内閣]]では首相補佐官は5名から2名に戻った。
 
一方で内閣における慣例を崩す手法を模索した。官僚の事実上のトップである内閣官房副長官事務担当に大蔵省出身の[[的場順三]]を起用。この政治主導の副長官起用は、2007年(平成19年)の押し付け的天下りに関して事務次官等会議で4人の事務次官等(財務・経産・警察・金融)の反対にあったが、[[事務次官等会議]]で同意を得ていない案件が閣議に上がってこない慣例を無視して、閣議決定に持ち込むことに一役を買った。