「国際環境法」の版間の差分

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== 歴史 ==
伝統的には、1941年の「[[トレイル溶鉱所事件]]」仲裁裁判所判決(米国/カナダ)(''A.J.I.L.'', Vol.35, 1941, p.716)に見られるように、二国間における、一方の他方に対する[[領域主権]]侵害(「相当の注意義務」違反)という、他分野と変わりのない(フリードマンの「共存の国際法」)、[[紛争]]の平和的解決という性質であった。
 
しかし、1972年の環境に関する初めての世界規模の会議である「ストックホルム会議」で打ち出された「ストックホルム[[人間環境宣言]]」により、「環境は、人間の生存を支え」、「自然の環境と人間が作り出した環境は、ともに人間の福利および基本的人権ひいては生存権そのものの共有にとって不可欠である」とされ、「人類とその子孫のため、人間環境の保全と改善を目指す」(前文)と宣言された。まだ、この時点では、国際環境法は、「部門別アプローチ」(une approache sectorielle)のタイプのものであった('''第一世代の国際環境法''')。