「ルカ・ジョルダーノ」の版間の差分

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ジョルダーノは非常に速く絵を描くことができ、「'''速描きのルカ''' (''Luca, Fa-presto'')」という愛称で呼ばれるようになった。しかしこれは貧しく吝嗇な父親から常に仕事に追い立てられており、「ルカ、もっと速く(描け) ("Luca, fa presto")」と言われ続けていたことに由来するともいわれている。まだ若かった彼は親の要求に従順で、ありあわせのものを急いで食べなければならないようなときでも絵筆を止めることは許されず、描き続けている彼の口に父親が手で食べ物を押し込むほどであった。ジョルダーノの作品を仕上げる速さと、他人の目を欺けるほどまでに他の画家の作品を模倣できるような多才ぶりで、彼は「雷鳴 (''Fulmine'')」、絵画の「[[プローテウス]]」というあだ名をつけられるまでになった。
 
ジョルダーノは[[ヴェネツィア派]]と[[ローマ派]]の絵画スタイルを融合した作風を身につけた。ヴェネツィア派画家である[[パオロ・ヴェロネーゼ]]の装飾的な優美さと、ローマバロック派画家であるコルトーナの生き生きとした複雑な画面構成、荘重な様式とを兼ね備えたのである。また、彼は鮮やかで人目を引く色彩色でも注目されるようになる。[[1682年]]から[[1683年]]にかけて[[フィレンツェ]]で[[フレスコ|フレスコ画]]の作品群を製作しており、[[サンタ・マリア・デル・カルミネ教会 (フィレンツェ)|サンタ・マリア・デル・カルミネ教会]] ([[:en:Santa Maria del Carmine, Florence|en:Santa Maria del Carmine]]) のコルシーニ礼拝堂 ([[:it:Cappella_Corsini]]) のフレスコ画もこの時期に描かれた作品である。他にも[[クルスカ学会]]の天井画や、[[メディチ家]]の邸宅である[[メディチ・リッカルディ宮殿]] ([[:en:Palazzo_Medici-Riccardi]]) に、1670年代に庭園を見渡すように増築された回廊の天井画を描いている。この回廊の天井画はアレッサンドロ・セーニとフランチェスコ・リカルディによって企画、推進されたもので、理想化して描かれたメディチ家の人々を中心に、その周囲にさまざまな物語に登場する人物や神々などが描かれている。描かれているのは[[徳#四元徳(cardinal virtues)|四元徳]]や[[精霊]]を擬人化したもの、[[ポセイドーン|ポセイドン]]と[[アムピトリーテー]]、[[ディオニューソス|ディオニュソス]]の凱旋、[[アドーニス|アドニス]]の死、[[ケレース]]と[[トリプトレモス]]などの神話中のエピソードである<ref>http://www.palazzo-medici.it/eng/sez_storia/riccardi.htm</ref>。
 
==スペイン宮廷画家時代 ==