「江戸三座」の版間の差分

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{{small|新開場の際に揚げられたもの。歌舞伎座では通常11月の「顔見世大歌舞伎」の際に揚げられる。}}]]
 
櫓とは、人ひとりが乗れるほどの籠のような骨組みに、2本の[[御幣|梵天]]と5本の[[槍]]を組み合わせ、それを座の[[家紋|定紋]]を染め抜いた幕で囲った構築物で、これを芝居小屋の入口上方に取り付け、かつてはそこで人寄せの太鼓を叩いた。この櫓をあげていることが官許の芝居小屋であることの証だった。逆に櫓のない芝居小屋は'''宮地芝居'''(みやぢ しばい)(江戸・上方においては「宮芝居」、地方においては「地芝居」)と呼ばれ、簡略な小屋掛けであること、舞台の上以外には屋根をつけないこと、[[定式幕|引幕]]・[[劇場|回り舞台]]・[[花道]]などの装置を使わないことなど、さまざまな制限が設けられた。
 
[[正徳 (日本)|正徳]]4年(1714年) には山村座が取り潰されて中村座・市村座・森田座の'''江戸三座'''となる。その三座も座元(座の所有者)が後継者を欠いたり経営が困難になったりすると、興行権が譲渡されたり別の座元が代わって興行を行うことがしばしばあった。[[享保|享保末年]]以降(1735<small>〜</small>) になると、三座にはそれぞれ事実上従属する[[控櫓]]がつき、本櫓が経営難で破綻し[[倒産|休座]]に追い込まれると年限を切ってその興行権を代行した。<br clear=all>