「式守伊之助」の版間の差分

m
編集の要約なし
m
'''式守 伊之助'''(しきもり いのすけ)は[[大相撲]]の[[立行司]]の名前で、[[木村庄之助]]に次いで2番目の地位([[番付]]で言うところの西正位[[横綱]])にあたる。当代は2013年11月場所から務める[[式守伊之助 (40代)|40代]](2014年6月現在)である
 
== 解説 ==
[[File:39th Inosuke Shikimori in Sumiyoshi Taisha (1) IMG 1474-2 20130302.JPG|thumb|250px|39代伊之助(のち37代庄之助)。式守伊之助の軍配の房色・[[直垂]]の[[菊綴]]は紫白と定められている。]]
この[[名跡]]は代々[[三役]]格から立行司に昇格する[[行司]]が襲名しており、[[軍配]]には紫白の房、装束には紫白の菊綴じを着用し庄之助同様、差し違えた際に切腹する覚悟を意味する[[短刀]]を左腰に差し、右腰には[[印籠]]を下げる。本場所では三役格以下と同様に2番を合せている。
この[[名跡]]は代々[[三役]]格から立行司に昇格する[[行司]]が襲名し、[[2008年]]5月場所からは10代[[三太夫 (行司)|式守勘太夫]]が38代目を襲名した。[[2011年]]11月場所より38代伊之助が[[木村庄之助 (36代)|36代庄之助]]を襲名し、[[木村玉光 (16代)|16代木村玉光]]が39代伊之助を襲名するはずだったが健康問題を理由に辞退したため、伊之助は暫く空位となっていたが<ref>立行司が一人になるのは庄之助が不在だった[[2006年]]3月場所以来</ref>、[[2012年]]11月場所より、10代木村庄三郎が39代伊之助を襲名した。[[2013年]]11月場所、39代伊之助が[[木村庄之助 (37代)|37代木村庄之助]]を襲名したのに伴い、11代式守錦太夫が[[式守伊之助 (40代)|40代伊之助]]を襲名した。
 
行司[[停年]]制実施前の[[1958年]]限りで、庄之助同様、[[年寄名跡]]より除かれた。現存する行司2家のうち[[式守家]]は[[式守伊之助 (初代)|初代伊之助]]が式守姓を名乗ったことに由来するといわれる。
[[軍配]]には紫白の房、装束には紫白の菊綴じを着用し庄之助同様、差し違えた際に切腹する覚悟を意味する[[短刀]]を左腰に差し、右腰には[[印籠]]を下げる。本場所では三役格以下と同様に2番を合わせている。
 
多くが60歳を過ぎてから襲名する傾向にあり、[[式守伊之助 (19代)|19代]]<ref>19代は定年制導入以前である。</ref>、[[式守伊之助 (27代)|27代]]、[[式守伊之助 (30代)|30代]]、[[式守伊之助 (34代)|34代]]が64歳、[[式守伊之助 (24代)|24代]]が63歳で襲名を果たしている。一方、若年襲名の記録として[[式守伊之助 (6代)|6代]]<ref>6代は生年月日が不明である。</ref>と[[式守伊之助 (8代)|8代]](40歳)、[[木村庄之助 (27代)|23代]](48歳)の例が確認される。あり、当代(40([[式守伊之助 (40)|40代]])は2013年11月場所襲名時、当年54歳であった襲名している
 
[[明治]]年間、本場所で[[勧進]]元を務めた伊之助が開催直前に亡くなるという“[[位牌]]勧進元”が続いたことがあった。6代、7代、8代、9代と連続して起こり、その直前である5代も含め5人続けて現役で亡くなった。さらに14代は[[1926年]]1月場所からの襲名が決まったものの伊之助として土俵に上がることなく前年暮れに死亡している(死後、1926年1月場所の番付には14代として「式守伊之助」と書かれている)。「伊之助の祟り」として恐れられたが、ことごとく偶然が重なったことによる。
行司[[停年]]制実施前の[[1958年]]限りで、庄之助同様、[[年寄名跡]]より除かれた。現存する行司2家のうち[[式守家]]は[[式守伊之助 (初代)|初代伊之助]]が式守姓を名乗ったことに由来するといわれる。
 
[[木村庄之助 (17代)|10代]]以降は庄之助を襲名することが可能となったため、以後29人中17人が庄之助を襲名している。庄之助に継ぐ地位であるが、6代と8代の2人は庄之助の上位に位置されたことがある。ただし8代は死跡であったため庄之助より上位として土俵に上がった伊之助は6代1人だけである。
 
また立行司が3人制(庄之助、伊之助、[[木村玉之助|玉之助]]。玉之助はのち[[副立行司]]に降格)時代に、木村玉之助から伊之助を襲名したのは[[木村庄之助 (21代)|17代]]と[[木村庄之助 (22代)|18代]]の2人の伊之助(のち、それぞれ21代、22代庄之助を襲名)のみである。
 
[[木村庄之助_ (3433代)|3635]]は唯一、伊之助在位1場所で庄之助を襲名しており、[[木村庄之助 (34代)|36代]]は[[2005年]]9月場所に三役格に昇格してからわずか4場所で[[2006年]]5月場所に伊之助を襲名した。これは三役格から立行司に昇格した史上最短の記録である。また[[木村庄之助_(33代)|35代伊之助]]は唯一、伊之助在位1場所で木村庄之助(33代)を襲名した
 
この[[名跡]]は代々[[三役]]格から立行司に昇格する[[行司]]が襲名し、[[2008年]]5月場所からは10代[[三太夫 (行司)|式守勘太夫]]が[[木村庄之助 (36代)|38代]]を襲名した。[[2011年]]11月場所より38代伊之助[[木村庄之助 (36代)|36代庄之助]]を襲名し、[[木村玉光 (16代)|16代木村玉光]]が39代伊之助を襲名するはずだったが健康問題を理由に辞退したため、伊之助は暫く空位となってい<ref>立行司が一人になるのは庄之助が不在だった[[2006年]]3月場所以来である。</ref>[[2012年]]11月場所より10代木村庄三郎が39代伊[[木村庄之助 (37代)|39代]]を襲名した。[[2013年]]11月場所、39代伊之助[[木村庄之助 (37代)|37代木村庄之助]]を襲名したのに伴い、11代[[三太夫 (行司)|式守錦太夫]][[式守伊之助 (40代)|40代伊之助]]を襲名した。
[[明治]]年間、本場所で[[勧進]]元を務めた伊之助が開催直前に亡くなるという“[[位牌]]勧進元”が続いたことがあった。6代、7代、8代、9代と連続して起こり、その直前である5代も含め5人続けて現役で亡くなった。さらに14代は[[1926年]]1月場所からの襲名が決まったものの伊之助として土俵に上がることなく前年暮れに死亡している(死後、1926年1月場所の番付には14代として「式守伊之助」と書かれている)。「伊之助の祟り」として恐れられたが、ことごとく偶然が重なったことによる。
 
[[式守伊之助 (初)|初代]]が[[明和]]年間より[[寛政]]年間にかけて使用した軍配が現存する。現在、土俵上で受け継がれている1本の軍配(「'''ゆずり団扇'''」とも呼ぶ)は1本ある。記されている文字については、どのように読むのかはっきりしていない。[[1882年]]の相撲錦絵にすでに登場しているが、伊之助のゆずり団扇となったのは20代(のちの[[木村庄之助 (24代)|2420庄之助]]時代の[[1960年]]5月からである。また初代伊之助が[[明和]]年間より[[寛政]]年間にかけて使用した軍配が現存する。
 
== 式守伊之助の代々 ==
|39代||[[2012年]]11月場所 - [[2013年]]9月場所||後に[[木村庄之助_(37代)|37代木村庄之助]]
|-
|[[式守伊之助_(40代)|40代]]||2013年11月場所 - ||27代庄之助の弟子<br>式守吉之輔→木村吉之輔→11代式守錦太夫
|}
 
266

回編集