「ひし美ゆり子」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
26行目:
== 来歴・人物 ==
[[東京都]][[中野区]][[鷺宮]]1丁目(現・[[若宮]]1丁目)生まれ<ref name="mange26">
父は戦後、手動式拡大コピー機の会社「スミラ工藝社」を興して成功したが、やがて事業に失敗し、負債処理のために中野の家を引き払い、[[1954年]]8月、[[三鷹市]][[牟礼]](現・[[井の頭]]4丁目)に転居<ref name="mange27" />。
[[1963年]]、[[中野区立北中野中学校]]から[[藤村女子中学校・高等学校|藤村女子高等学校]]に入学<ref group = "注釈">『万華鏡の女』p.32には「東京女子体育大学附属高校」とあるが、このような名称の学校は実在しない。[http://www.yuriko777.com/back/46.html 公式掲示板における当人の発言]によると、「東京女子体育大学附属高校」出身とは、新聞記者の勘違いのために生じた誤伝であるという。なお、東京女子体育大学と藤村女子中学校・高等学校は同じ学校法人が経営しており姉妹校にあたる。</ref>。高校2年の終りの頃、東宝主催「ミス東京セニョリータ」の準ミスに選ばれ、ステレオセットや電気ミシンなどの賞品を獲得<ref name="mange34">
デビュー当初は本名の「菱見地谷子」名義で活動し、1967年から「'''菱見 百合子'''」に改名。『[[ウルトラセブン]]』の「'''友里アンヌ隊員'''」役で知られる。アンヌ役は、映画出演決定を理由に降板した[[豊浦美子]]の代役として急遽決まったため、コスチュームのサイズが合わず体にぴったりとフィットしたものになったという。
1972年、東宝との専属契約が切れ、女優は辞めるつもりでいたが、個人的な記念のつもりで撮った[[ヌード]]が「[[週刊プレイボーイ]]」に流出し、これを切っ掛けに[[東映]]の『[[不良番長]]』に出演し女優を続ける([[
[[台湾料理]][[シェフ]]である現在の夫との再婚後は、夫の経営する料理店の切り盛りに主軸を移し、東京都[[調布市]]で「台北飯店」と「Asian TAIPEI」「Cafe&bar(バール)『TP's Cafe』」を経営している。その傍ら、女優業も断続的に続けている。自伝『セブンセブンセブン わたしの恋人ウルトラセブン』などの著作がある。
187行目:
=== 共著 ===
*
=== 写真集 ===
196行目:
* 『永久保存版写真集[[平凡パンチ]]’70 The Nude [[高橋惠子]] ひし美ゆり子 [[東てる美]]』(2012年4月26日、[[マガジンハウス]])ISBN 978-4838724222
== 脚注 ==
;注釈
{{Reflist|group="注釈"}}
;出典
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[日本の女優一覧]]
|