「陸軍航空工廠」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
17行目:
{{節スタブ|date=2014年2月}}
[[1940年]](昭和15年)4月1日、名古屋陸軍造兵廠の航空発動機部隊が立川に移転し開設。
主に[[一式戦闘機]]「隼」や[[四式戦闘機]]「疾風」を少数、[[九九式襲撃機]]などを1000機近く、その他に試作機や量産改良型機なども多く製造された
傍を通る[[青梅線]][[中神駅]]から引込線が敷設され、同時に[[東中神駅]]が開業した。
[[1922年]](大正11年)の[[立川飛行場]]開設に伴い設置されたものだが、これを機に軍事施設が集中した[[立川市]]全体が[[1945年]](昭和20年)2月16日以降の[[立川空襲]]の標的になった。また、当航空工廠を狙った4月4日の空襲では山中坂にあった防空壕に焼夷弾が直撃し、多数の死傷者を出した(山中坂の悲劇)。[[立川飛行機]]や[[昭和飛行機]]など、航空機開発製造を担ってきた企業の工場も隣接し、各航空機関連企業、[[陸軍航空技術研究所]]で開発し、当工廠で試作して[[立川飛行場]]でテスト飛行するという流れもあったようである。
また試作された航空機が福生の陸軍航空審査部で試験飛行されたことも多々ある
[[1945年]](昭和20年)8月15日廃止。
 
== 廃止後 ==