「加藤凌平」の版間の差分

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| 旧国籍 =
| 種目 =
| 得意種目 = ゆか<ref>[http://www.jpn-gym.or.jp/wp-content/uploads/2014/09/wch_2014m.pdf 第45 回世界体操競技選手権大会(男子代表)プロフィール - 日本体操協会]</ref>
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1993|9|9}}
| 生誕地 = {{JPN}} [[静岡県]]
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{{MedalGold|[[2013年夏季ユニバーシアード|2013 カザン]]|ゆか}}
{{MedalBronze|2013 カザン|団体総合}}
{{MedalBronze|2013 カザン|鉄棒}}
}}
'''加藤 凌平'''(かとう りょうへい、[[1993年]][[9月9日]] - )は、[[日本]]の[[体操競技選手]]。[[静岡県]]生まれ、[[埼玉県]][[草加市]]育ち。[[埼玉栄高等学校]]を卒業し[[順天堂大学]]へ進学。父親で[[ロンドンオリンピック (2012年) 日本選手団|ロンドンオリンピック男子体操コーチ]]の加藤裕之も元体操選手で1989年[[世界体操競技選手権]]代表<ref>{{cite news |title=加藤 男子最年少18歳で父との夢舞台出場果たす|url=http://www.sponichi.co.jp/olympic/news/2012/05/06/kiji/K20120506003191281.html|work=スポーツニッポン||date=2012年5月6日}}</ref><ref>{{cite news |title=「最大の味方は自分だぞ」加藤裕之 コーチの名言|url=http://president.jp/articles/-/6536|work=プレジデント|date=2012年6月29日}}</ref>。
 
[[2008年]]、国際大会(リューキンカップ)初めて参加し、14~15 歳の部で個人1位。[[2011年]]にナショナル入りし、[[2011年世界体操競技選手権]]選考では高校生ながら補欠選手となった。[[2012年]]にゆかのスペシャリストとして初めて[[ロンドンオリンピック (2012年) 日本選手団|男子体操日本代表]]に選出され、[[ロンドンオリンピック (2012年)|2012年ロンドンオリンピック]][[ロンドンオリンピック (2012年) における体操競技|団体総合]]で[[銀メダル]]獲得に貢献。帰国後は[[全日本学生体操競技選手権大会]]王者、翌[[2013年]]4月のワールドカップ東京大会で銀メダル獲得等、個人総合選手として急速に成長<ref>[http://www.jpn-gym.or.jp/wp-content/uploads/20132014/09/13am_univ_profile13a_wch_JPNbioM.pdf 第2744 ユニバーシアード(男子世界体操競技選手権大会(男子)プロフィール - 日本体操協会]</ref>。
 
[[2013年]]5月、[[岩手県営体育館]](盛岡市)で開催された東日本学生選手権において、つり輪の演技直前のウォーミングアップで懸垂技の練習中、片方の輪と上部から伸びたワイヤをつなぐ革製ベルトが切れた。片手でぶら下がる状態となって弾みで肩を負傷<ref>{{cite news |title=つり輪切れ、体操選手権中止 五輪代表の加藤選手負傷|url=http://www.47news.jp/CN/201305/CN2013051901001894.html|work=共同通信|date=2013年5月19日}}</ref><ref>{{cite news |title=つり輪切れ大会中止 加藤肩痛める/体操|url=http://www.nikkansports.com/sports/news/f-sp-tp0-20130519-1129902.html|work=日刊スポーツ|date=2013年5月19日}}</ref>。首や背中がむち打ちのような症状に見舞われることとなった。事故の原因は器具の老朽化であった<ref>{{cite news |title=「20年使用も予算の都合で更新されず つり輪事故で緊急点検|url=http://www.47news.jp/smp/news/201305/SM0521_932117.html|work=岩手日報|date=2013年5月21日}}</ref>。
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== CM出演 ==
* [[こどもちゃれんじ]]「体操編」(2014年2月-3月)
*
 
== 脚注 ==