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{{国際化|領域=[[日本]]|section=1|date=2009年6月22日 (月) 17:36 (UTC)}}
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[[Image:Screen on the green 1.jpg|thumb|none|[[ロンドン]]の映画館外観]]
[[Image:Cinéma_des_familles.JPG|thumb|none|フランス、[[グロワ島]]の映画館外観]]
[[Image:Munken kino (kinolerret).jpg|thumb|none|[[ノルウェー]]の映画館内]]
[[Image:Cinema-long-exposure-hdr-0a.jpg|thumb|none|上映中の映画館内]]
[[Image:MovieTheatre gobeirne.jpg|thumb|none|音響システム、カップホルダー等の設備が整った館内の例]]
[[Image:Oxford_-_Ultimate_Palace_Cinema_-_0084.jpg|thumb|none|映写室から見た映画館]]
}}
'''映画館'''(えいがかん、英:movie theatre ムービー・シアター、movie house ムービー・ハウス)とは、[[映画]]を[[観客]]たちに見せることを主目的とした[[施設]]のこと。
'''映画館'''(えいがかん)とは、[[映画]]を上映することを主目的とした[[施設]]。[[英語]]の"''Movie theater''"から日本語でも単に「'''シアター'''」と称する場合がある。また、日本語では「'''銀幕'''」あるいは「'''シネマ'''」とも通称される。英語でも同様に''Silver screen''(銀色のスクリーン)、''Big screen''(大きなスクリーン)と称され、[[テレビ]]に対して使われる''Small screen''(小さなスクリーン)と対照される。
 
「映画劇場」とも。日本語では「ムービー・シアター」を短くして「シアター」と称する場合がある、が「シアター」ではただ劇場という意味である。フランス語では[[:fr:salle de cinéma|salle de cinéma]] サル・ド・シネマ(=映画ホール)あるいは略して「cinéma シネマ」とも言うので、短いほうを採用してフランス風に「シネマ」とも呼ばれる。
映画は'''[[映写機]]'''により劇場の前に設置された大きな'''[[スクリーン]]'''(映写幕)に投影される。
 
== 概要 ==
映画館では映画は多数の観客席の前の大きな[[スクリーン]](映写幕)に[[映写機]]によって投影される。
{{国際化|領域=[[日本]]|section=1|date=2009年6月22日 (月) 17:36 (UTC)}}
 
[[1899年]]に[[フィラデルフィア]]で開催された博覧会において、[[シグマンド・ルービン]]が映画を上映する[[パルテノン]]風建築の[[シネオグラフ館]]を期間限定で公開した。これが世界初の映画館ともされる。→[[#歴史]]
 
映画館の特徴は、その大きなスクリーンにあるので、映画館で上映されている作品や映画館を、[[象徴]]的に英語で''big screen''(大きなスクリーン)とも言う。[[テレビ]]を''small screen''(小さなスクリーン)と呼び、対比的に用いているのである。かつてスクリーンはやや銀色がかったものを用いていたので、英語で''silver screen''(=銀色のスクリーン)と言い、日本語では「銀幕」と言ったものだった。
 
== 歴史 ==
=== 前映画館期 ===
[[1889年]]に[[トーマス・エジソン]]らが発明した(実際の開発者は、[[ウィリアム・K・L・ディクソン]])[[キネトスコープ]]は、のぞき窓を小窓から1人で覗き込む非投影式の映画装置であり、内容もちょっとした[[コント]]や[[寸劇]]ていどのもので、[[デパート]]や[[ドラッグストア]]など様々な場所に置かれていた。[[1894年]]春、[[ブロードウェイ]]に元靴屋を改築した[[キネトスコープ・パーラー]]が開店し、複数台並べられたキネトスコープを観客が順次のぞき見て周るラウンド制上映が行われた。
 
「スクリーンに投影された映像を不特定多数の人間が同一の場所で視覚的に共有する」([[ジョルジュ・サドゥール]]による映画の定義)タイプの上映装置は、[[リュミエール兄弟]]が開発した[[シネマトグラフ|シネマトグラフ・リュミエール]]による[[1895年]]の公開が最初である。このタイプの上映は、[[ヴォードヴィル|ヴォードヴィル劇場]]や地方の[[オペラハウス]]などでの添え物的な上映か、[[ストアフロント劇場]]と呼ばれる仮設劇場での上映に限られていた。
 
[[File:L'Idéal_Cinéma_-Jacques_Tati.jpg|thumb|right|200px|[[フランス]]の北部の街、[[:fr:Aniche|Aniche]]にある[[:en:L'Idéal Cinéma Jacques Tati|L'Idéal Cinéma Jacques Tati]] リデアル・シネマ・ジャック・タチ。1900から1901年ころに建造された、最初期のものとも見なされることもある映画館。]]
[[1900年]]の[[パリ万国博覧会 (1900年)|パリ万国博覧会]]では、リュミエール兄弟が、後の[[IMAX|IMAXシアター]]の登場を予感させる巨大スクリーン・巨大会場での上映を行った。また、[[1899年]]の[[フィラデルフィア]]での博覧会では、[[シグマンド・ルービン]]が後の[[ピクチュア・パレス]]を思わせる[[パルテノン]]風建築の[[シネオグラフ館]]を公開している。期間限定とはいえ、これが世界初の映画館といえる。
 
発明家[[ウィリアム・J・キーフ]]が[[1904年]]の[[セントルイス万国博覧会]]で発表した、列車型ライドに乗ってトンネル内のスクリーンに映し出される映像を楽しむ擬似列車旅行装置は、[[1905年]]に改良を加えられて、主要都市の遊園地内に設置され、[[ヘイルズ・ツアーズ]]の名で好評を博した。観客は、列車型の館内で[[ファントム・ライド映画]]と呼ばれる「動く景色」の映像を見ながら、ショットにあわせて列車が震動し、汽笛を鳴らし、人工の風が吹き込むのを楽しんだ。
 
=== ニッケルオデオン ===
{{Main|ニッケルオデオン (映画館)}}
[[1905年]]頃、[[5セント硬貨 (アメリカ合衆国)|ニッケルコイン]]1枚で入場できると、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で流行した。これが、最初の常設映画館であると言われている。[[スクリーン]]の大きさは縦3.5メートル、横4.5メートルほどの大きさしかなく、設備も伴奏用のピアノがあるくらいだった。映写機は1台しかなく、フィルムをかけかえる間、[[幻燈機]]によるスライド上映が行われた。スライドの内容は、「他のお客様の迷惑になる行為はご遠慮ください」といったメッセージや、観客が合唱するための歌詞であった。[[サイレント映画]]にオーケストラによる伴奏がつくようになったのは[[1910年]]頃からである。興行形態は 1. スライド 2. 15分ほどの映画上映 3. 歌詞とイラスト付きのカラー・スライド上映と館内合唱 4. 幕間 5. 1.に戻って3回目の映画上映で終了、といったものが一般的だった。英語を解さない移民でも理解出来るサイレント映画の上映は、彼らをアメリカ文化に同化させるのに重要な役割を果たしたといわれる。一方で、黒人専用映画館や、白人から隔離された黒人専用席などの差別待遇もあった。しかし、興盛を極めたニッケルオデオンも、映画の長尺化に伴い、防火対策の不備、スクリーンの見難さ、収容人数の少なさ(100~300名程度)、劣悪な衛生環境、換気・冷暖房諸設備の不備、などの問題のために、[[1913年]]頃には衰退していった。
 
=== エアドーム ===
[[File:Airscreen.JPG|thumb|right|240px|現代の野外映画館]]
1900年代半ばからは、夏期の館内暑気対策として、屋外上映施設が建設され始めた。[[1917年]]には一般映画館に冷房装置が備え付けられるようになり、1930年代には同じく屋外上映施設の[[ドライブインシアター]]が登場したため、この頃には姿を消した。ただし、屋外映画館での上映は[[ロカルノ映画祭]]などで、現在でもイベント的に行われているし、南欧の古い映画館には屋根が開閉式のものが存在する。
 
=== アートハウス ===
1920年代には映画の芸術としての側面が注目され始め、前衛芸術家やアマチュアのフィルムメーカーによる意欲的な[[実験映画]]や[[純粋映画]]が、芸術家の集まる[[カフェ]]や[[アートハウス]]と呼ばれる専門映画館で上映されるようになった。
 
=== ピクチュア・パレス ===
{{Main|ピクチュア・パレス}}
[[1915年]]頃から、宮殿を思わせる豪華絢爛な巨大映画館ピクチュア・パレスが登場し始める。[[ヴェルサイユ宮殿]]などを参考にして華美な装飾を施したこの映画館の収容定員は1000~3000名で、入場料はニッケルオデオンの5倍から40倍ほどの高額であった。興行形態は 1. ドアマンによる出迎え 2. 案内係によって座席まで誘導される 3. オーケストラによる序曲 4. 序曲が終わり、照明が落ちる 5. [[ニュース映画]]上映 6. 短篇の[[旅行記映画]]あるいは[[実景映画]]の上映 7. 声楽家、ピアニストなどのライブ・パフォーマンス 8. 30分ほどの[[喜劇映画]]あるいは短篇[[アニメーション映画]]上映 9. [[プロローグ]] 10. 本編上映 11. オルガン演奏と共に退場。1910年代後半から20年代にかけて建設ブームが起こったが、[[トーキー映画]]の出現と[[1929年]]の[[経済恐慌]]によって経営が圧迫されていった。このタイプの映画館は現在ではほとんど残っていないが、[[ロサンゼルス]]の[[エジプシャン・シアター]]などは営利目的よりも文化的目的で現在でも上映活動を続けている。
 
=== 1930年代の映画館 ===
[[1932年]]頃から、中規模映画館による[[A級映画]]、[[B級映画]]の長篇2本立て興行が始まった。この頃の映画館では特に館内の静粛性は求められず、上映中の入退場は自由であった。冒頭部では出演するスター達が[[クローズアップ]]で紹介され、観客達はお気に入りのスターに拍手喝采を送り、映画会社も観客の反応をスターの人気を測る尺度にしていたという。この興行形態は、[[1948年]]に[[パラマウント映画|パラマウント社]]が[[独占禁止法]]違反の判決を受けてから徐々に廃れていった。
 
30年代前半には[[ニュース映画]]専門館が現れ、戦時中の情報源として重宝された。この形態の映画館は[[テレビ]]が普及する50年代まで存続した。
 
=== ドライブインシアター ===
{{Main|ドライブインシアター}}
[[1933年]]初夏の[[ニュージャージー州]]に登場した。アメリカで本格的に流行したのは、[[第二次世界大戦]]後のことである。終戦直後には100館ほどしかなかったが、車社会の到来、[[ベビーブーム]]、住宅地の郊外化などの要因によって1950年代初頭には3000館ほどに増えた。[[1948年]]には、やはりニュージャージー州に、乗客とパイロットが飛行機に乗ったまま映画を見ることの出来る[[フライトインシアター]]が開館された。他にも[[1973年]]の円形劇場型のドライブインシアター、宿泊客が部屋の窓越しに映画を見ることの出来る[[シアター・モーテル]]など、奇抜なアイデアによる映画館が現れては消えていった。ドライブインシアターも、ピークを迎えた50年代なかば以降はテレビに押されて衰退し、1970年代までには大半が閉館を余儀なくされた。
 
=== 成人映画館 ===
{{Main|成人映画館}}
1970年代初頭、文化先進諸国における[[ポルノ映画|ポルノ]]解禁に伴い、多くの小規模経営映画館が成人指定映画専門映画館化し、爆発的流行を産んだ
 
=== シネマコンプレックス ===
{{Main|シネマコンプレックス}}
[[1980年代]]以降、シネマコンプレックス(シネコン)と呼ばれる、複数スクリーンを持つ大型映画館が増えている。[[ショッピングモール]]などと併設して[[郊外]]に建設されるケースが多く、今日では映画館の主流形態となっている。
 
=== コミュニティシネマ ===
{{Main|コミュニティシネマ}}
鑑賞環境の地域格差の是正、メディア・リテラシーの向上、街づくりへの貢献などを目的として、地域住民や[[地方政府]]などが中心となり上映を行なっている団体、もしくはそれらの団体が拠点とする映画館を指す。ドイツではコミナール・キノと言う名称で1970年代から主に地方政府の支援を受け公共性の高い映画館として広まっていった。イギリスでは[[英国映画協会]]が認定した公共映画館がリージョナル・フィルム・シアターと言う名称で多様性のある作品を上映している<ref name="overseascommunitycinema">{{Cite web |url=http://www.jc3.jp/communitycinema/overseas.html |title=海外のコミュニティシネマ |publisher=一般社団法人コミュニティシネマセンター |archiveurl=http://web.archive.org/web/20090924125940/http://www.jc3.jp/communitycinema/overseas.html |archivedate=2009-09-24 |accessdate=2013-05-12}}</ref>。日本では1990年代以降発生した中心市街地の空洞化や、シネマコンプレックスの台頭に伴い地方でミニシアター作品が上映されなくなったことなどからこのような活動が盛んになった。概念としてはドイツのコミナール・キノを元としている。
 
== 日本 ==
映画館は、新作映画を全国規模で一斉に上映する封切館(ロードショー館)と、独立系の新作映画を上映する[[ミニシアター]]、旧作映画を主体に上映する[[名画座]]に大きく区分される。また、[[映倫]]が定める[[映画のレイティングシステム|レイティング]]に従い、R-18指定の映画を中心に上映する映画館を「成人映画館」、それ以外の映画が主であるものを「一般映画館」と区分することがある。
 
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都道府県庁所在地ほどの都市であれば、常設館があることが一般的であるが、[[奈良市]]と[[山口市]]には常設館は存在しない(2013年3月現在)。
 
;シネコン
== 一般的な営業形態 ==
日本でも[[シネマコンプレックス]]が1990年代~2000年代ころから徐々に増えてきており、現在では映画館の主流はシネマコンプレックスという状況になっている。
これにより、かつてあった、規模や立地条件などにより区分された映画館の等級づけ(1番館から5番館くらいまで)は完全に無効化された。<!--(シネマコンプレックスと無関係の記述であるためコメントアウト)他にも、巨大スクリーンの[[IMAX|IMAXシアター]]や[[オムニマックス|オムニマックス・シアター]]が登場した。[[ディズニーランド]]や[[ユニヴァーサルスタジオ]]の[[3D映画館]]も、現代の映画館の形態の1つとして付け加えても良いだろう{{誰|date=2009年6月}}。また、家庭に映画上映の設備を組む[[ホームシアター]]や、飛行機内や船内の上映設備も、広い意味での映画館といえる{{誰|date=2009年6月}}。-->
 
;成人向け映画館
日本においては1960年代前半から日本独特のジャンルである[[ピンク映画]]を上映する映画館が現れ始めていた。{{要出典範囲|日本においては狭義のポルノ映画は存在せず|date=2015年2月}}、ピンク映画、[[日活ロマンポルノ]]、同性愛者向けの[[ゲイポルノ]]など日本独特の成人映画が製作されている。また、1990年頃までは「洋ピン」と呼ばれる、海外のポルノ映画を日本の基準に修正した映画も公開されていた。日本で製作された成人映画および洋ピンは、[[映倫]]によってすべて成人指定(現在の[[R18]]指定)を受けた事から、これらを上映する映画館は「成人映画館」(縮めて成人館とも)と呼ばれる事が多い。その後、[[レンタルビデオ]]店が繁盛するにつれて、こうした成人向け映画館は廃れていった。ただし、性的な映像の市場としては[[アダルトビデオ]]や[[DVD]]、[[インターネット]]による動画配信が主流となった今日でも、成人映画館は都市部の片隅に少数ながら存続しており、高齢の[[同性愛者|男性同性愛者]]たちの[[発展場]]として機能してしまっていることも多い。また、ダンス・ショーなどのライヴ・パフォーマンスにより、観客との交流が活発に行われているのも大きな特徴である。
 
=== 一般的な営業形態 ===
{{国際化|領域=[[日本]]|section=1|date=2009年6月22日 (月) 17:36 (UTC)}}
一般的に、映画館は個人によって所有・運営されるケースは少なく(一部のミニシアターに見られる程度)、映画館運営会社([[興行]]会社)などによって運営され、顧客に[[入場券|チケット]]を買ってもらい入場させ映画を見せ、会社はそのチケットの売り上げによって利益を得るという形をとる。<!--入場料が必要になる場合がほとんどであり、--><br>
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いずれの方式においても、入口を出た後の再入場は基本的に許可されていない(流し込み制であれば、改めて入場料が必要)が、[[便所|トイレ]]や[[自動販売機]]・[[売店]]などが館内に設置されていない等の事情により、入場時の半券を提示することで、その半券記載の上映時間内であれば許可するシステムをとる館もある。
 
=== 鑑賞・および上映中の行儀 ===
{{複数の問題
|国際化 = 2009年6月
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上映が終了すると館内に照明が付くので、場内に忘れ物が無いことを確認して退場する。劇場を出た場内ロビーでは、上映作品に関するグッズや作品解説のパンフレットなどが販売されているので、記念に買って行く人もある。
 
== 歴史 ==
=== 前映画館期 ===
[[1889年]]に[[トーマス・エジソン]]らが発明した(実際の開発者は、[[ウィリアム・K・L・ディクソン]])[[キネトスコープ]]は、のぞき窓を小窓から1人で覗き込む非投影式の映画装置であり、内容もちょっとした[[コント]]や[[寸劇]]ていどのもので、[[デパート]]や[[ドラッグストア]]など様々な場所に置かれていた。[[1894年]]春、[[ブロードウェイ]]に元靴屋を改築した[[キネトスコープ・パーラー]]が開店し、複数台並べられたキネトスコープを観客が順次のぞき見て周るラウンド制上映が行われた。
 
=== 映画興行会社 ===
「スクリーンに投影された映像を不特定多数の人間が同一の場所で視覚的に共有する」([[ジョルジュ・サドゥール]]による映画の定義)タイプの上映装置は、[[リュミエール兄弟]]が開発した[[シネマトグラフ|シネマトグラフ・リュミエール]]による[[1895年]]の公開が最初である。このタイプの上映は、[[ヴォードヴィル|ヴォードヴィル劇場]]や地方の[[オペラハウス]]などでの添え物的な上映か、[[ストアフロント劇場]]と呼ばれる仮設劇場での上映に限られていた。
日本の映画興行会社、団体を列記すると、ウィキペディアで禁止されている宣伝にあたるのでそれは原則ここでは掲載しない。個人事業主によって運営されているものも映画館名も原則、記載しない。また、一部が地域の興行組合等に加盟していることから、年間を通じて上映を行なっている[[シネマテーク]]についても原則、記載しない。<ref name="eigakanmeibo2013">{{Cite book |author=一般社団法人日本映画製作者連盟配給部会 |authorlink=日本映画製作者連盟 |year=2012 |title=映画館名簿2013年版 |publisher=時事映画通信社 }}</ref>。
 
=== 日本の大手一覧 ===
[[1900年]]の[[パリ万国博覧会 (1900年)|パリ万国博覧会]]では、リュミエール兄弟が、後の[[IMAX|IMAXシアター]]の登場を予感させる巨大スクリーン・巨大会場での上映を行った。また、[[1899年]]の[[フィラデルフィア]]での博覧会では、[[シグマンド・ルービン]]が後の[[ピクチュア・パレス]]を思わせる[[パルテノン]]風建築の[[シネオグラフ館]]を公開している。期間限定とはいえ、これが世界初の映画館といえる。
ウィキペディアでは一般概念を説明している記事中でわざわざ個別の劇場をダラダラ列挙しない。また宣伝は禁止されているので、その意味でも列挙しない。
 
あくまで、別の一覧を参照のこと。
発明家[[ウィリアム・J・キーフ]]が[[1904年]]の[[セントルイス万国博覧会]]で発表した、列車型ライドに乗ってトンネル内のスクリーンに映し出される映像を楽しむ擬似列車旅行装置は、[[1905年]]に改良を加えられて、主要都市の遊園地内に設置され、[[ヘイルズ・ツアーズ]]の名で好評を博した。観客は、列車型の館内で[[ファントム・ライド映画]]と呼ばれる「動く景色」の映像を見ながら、ショットにあわせて列車が震動し、汽笛を鳴らし、人工の風が吹き込むのを楽しんだ。
{{Main|日本の映画館の一覧}}
 
=== ニッケルオデオン ===
{{Main|ニッケルオデオン (映画館)}}
[[1905年]]頃、[[5セント硬貨 (アメリカ合衆国)|ニッケルコイン]]1枚で入場できると、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で流行した。これが、最初の常設映画館であると言われている。[[スクリーン]]の大きさは縦3.5メートル、横4.5メートルほどの大きさしかなく、設備も伴奏用のピアノがあるくらいだった。映写機は1台しかなく、フィルムをかけかえる間、[[幻燈機]]によるスライド上映が行われた。スライドの内容は、「他のお客様の迷惑になる行為はご遠慮ください」といったメッセージや、観客が合唱するための歌詞であった。[[サイレント映画]]にオーケストラによる伴奏がつくようになったのは[[1910年]]頃からである。興行形態は 1. スライド 2. 15分ほどの映画上映 3. 歌詞とイラスト付きのカラー・スライド上映と館内合唱 4. 幕間 5. 1.に戻って3回目の映画上映で終了、といったものが一般的だった。英語を解さない移民でも理解出来るサイレント映画の上映は、彼らをアメリカ文化に同化させるのに重要な役割を果たしたといわれる。一方で、黒人専用映画館や、白人から隔離された黒人専用席などの差別待遇もあった。しかし、興盛を極めたニッケルオデオンも、映画の長尺化に伴い、防火対策の不備、スクリーンの見難さ、収容人数の少なさ(100~300名程度)、劣悪な衛生環境、換気・冷暖房諸設備の不備、などの問題のために、[[1913年]]頃には衰退していった。
 
=== エアドーム ===
1900年代半ばからは、夏期の館内暑気対策として、屋外上映施設が建設され始めた。[[1917年]]には一般映画館に冷房装置が備え付けられるようになり、1930年代には同じく屋外上映施設の[[ドライブインシアター]]が登場したため、この頃には姿を消した。ただし、屋外映画館での上映は[[ロカルノ映画祭]]などで、現在でもイベント的に行われているし、南欧の古い映画館には屋根が開閉式のものが存在する。
 
=== アートハウス ===
1920年代には映画の芸術としての側面が注目され始め、前衛芸術家やアマチュアのフィルムメーカーによる意欲的な[[実験映画]]や[[純粋映画]]が、芸術家の集まる[[カフェ]]や[[アートハウス]]と呼ばれる専門映画館で上映されるようになった。
 
=== ピクチュア・パレス ===
{{Main|ピクチュア・パレス}}
[[1915年]]頃から、宮殿を思わせる豪華絢爛な巨大映画館ピクチュア・パレスが登場し始める。[[ヴェルサイユ宮殿]]などを参考にして華美な装飾を施したこの映画館の収容定員は1000~3000名で、入場料はニッケルオデオンの5倍から40倍ほどの高額であった。興行形態は 1. ドアマンによる出迎え 2. 案内係によって座席まで誘導される 3. オーケストラによる序曲 4. 序曲が終わり、照明が落ちる 5. [[ニュース映画]]上映 6. 短篇の[[旅行記映画]]あるいは[[実景映画]]の上映 7. 声楽家、ピアニストなどのライブ・パフォーマンス 8. 30分ほどの[[喜劇映画]]あるいは短篇[[アニメーション映画]]上映 9. [[プロローグ]] 10. 本編上映 11. オルガン演奏と共に退場。1910年代後半から20年代にかけて建設ブームが起こったが、[[トーキー映画]]の出現と[[1929年]]の[[経済恐慌]]によって経営が圧迫されていった。このタイプの映画館は現在ではほとんど残っていないが、[[ロサンゼルス]]の[[エジプシャン・シアター]]などは営利目的よりも文化的目的で現在でも上映活動を続けている。
 
=== 1930年代の映画館 ===
[[1932年]]頃から、中規模映画館による[[A級映画]]、[[B級映画]]の長篇2本立て興行が始まった。この頃の映画館では特に館内の静粛性は求められず、上映中の入退場は自由であった。冒頭部では出演するスター達が[[クローズアップ]]で紹介され、観客達はお気に入りのスターに拍手喝采を送り、映画会社も観客の反応をスターの人気を測る尺度にしていたという。この興行形態は、[[1948年]]に[[パラマウント映画|パラマウント社]]が[[独占禁止法]]違反の判決を受けてから徐々に廃れていった。
 
30年代前半には[[ニュース映画]]専門館が現れ、戦時中の情報源として重宝された。この形態の映画館は[[テレビ]]が普及する50年代まで存続した。
 
=== ドライブインシアター ===
{{Main|ドライブインシアター}}
[[1933年]]初夏の[[ニュージャージー州]]に登場した。アメリカで本格的に流行したのは、[[第二次世界大戦]]後のことである。終戦直後には100館ほどしかなかったが、車社会の到来、[[ベビーブーム]]、住宅地の郊外化などの要因によって1950年代初頭には3000館ほどに増えた。[[1948年]]には、やはりニュージャージー州に、乗客とパイロットが飛行機に乗ったまま映画を見ることの出来る[[フライトインシアター]]が開館された。他にも[[1973年]]の円形劇場型のドライブインシアター、宿泊客が部屋の窓越しに映画を見ることの出来る[[シアター・モーテル]]など、奇抜なアイデアによる映画館が現れては消えていった。ドライブインシアターも、ピークを迎えた50年代なかば以降はテレビに押されて衰退し、1970年代までには大半が閉館を余儀なくされた。
 
=== 成人映画館 ===
{{Main|成人映画館}}
1970年代初頭、文化先進諸国における[[ポルノ映画|ポルノ]]解禁に伴い、多くの小規模経営映画館が成人指定映画専門映画館化し、爆発的流行を産んだ(ただし、日本においては1960年代前半から日本独特のジャンルである[[ピンク映画]]を上映する映画館が現れ始めていた)。'''日本においては狭義のポルノ映画は存在せず'''、ピンク映画、[[日活ロマンポルノ]]、同性愛者向けの[[ゲイポルノ]]など日本独特の成人映画が製作されている。また、1990年頃までは洋ピンと呼ばれる、海外のポルノ映画を日本の基準に修正した映画も公開されていた。日本で製作された成人映画および洋ピンは、[[映倫]]によってすべて成人指定(現在の[[R18]]指定)を受けた事から、これらを上映する映画館は'''成人映画館'''(縮めて成人館とも)と呼ばれる事が多い。成人映画館は、[[アダルトビデオ]]や[[DVD]]、[[インターネット]]による動画配信が主流となった今日でも、都市部の片隅に少数ながら存続し、高齢の[[同性愛者|男性同性愛者]]たちの[[発展場]]として機能してしまっていることも多い。また、ダンス・ショーなどのライヴ・パフォーマンスにより、観客との交流が活発に行われているのも大きな特徴である。
 
=== シネマコンプレックス ===
{{Main|シネマコンプレックス}}
[[1980年代]]以降、シネマコンプレックス(シネコン)と呼ばれる、複数スクリーンを持つ大型映画館が増えている。[[ショッピングモール]]などと併設して[[郊外]]に建設されるケースが多く、今日では映画館の主流形態となっている。これにより、かつて規模や立地条件などにより区分された映画館の等級づけ(1番館から5番館くらいまで)は完全に無効化された。<!--(シネマコンプレックスと無関係の記述であるためコメントアウト)他にも、巨大スクリーンの[[IMAX|IMAXシアター]]や[[オムニマックス|オムニマックス・シアター]]が登場した。[[ディズニーランド]]や[[ユニヴァーサルスタジオ]]の[[3D映画館]]も、現代の映画館の形態の1つとして付け加えても良いだろう{{誰|date=2009年6月}}。また、家庭に映画上映の設備を組む[[ホームシアター]]や、飛行機内や船内の上映設備も、広い意味での映画館といえる{{誰|date=2009年6月}}。-->
 
=== コミュニティシネマ ===
{{Main|コミュニティシネマ}}
鑑賞環境の地域格差の是正、メディア・リテラシーの向上、街づくりへの貢献などを目的として、地域住民や地方公共団体などが中心となり上映を行なっている団体、もしくはそれらの団体が拠点とする映画館を指す。ドイツではコミナール・キノと言う名称で1970年代から主に地方公共団体の支援を受け公共性の高い映画館として広まっていった。イギリスでは[[英国映画協会]]が認定した公共映画館がリージョナル・フィルム・シアターと言う名称で多様性のある作品を上映している<ref name="overseascommunitycinema">{{Cite web |url=http://www.jc3.jp/communitycinema/overseas.html |title=海外のコミュニティシネマ |publisher=一般社団法人コミュニティシネマセンター |archiveurl=http://web.archive.org/web/20090924125940/http://www.jc3.jp/communitycinema/overseas.html |archivedate=2009-09-24 |accessdate=2013-05-12}}</ref>。日本で1990年代以降発生した中心市街地の空洞化や、シネマコンプレックスの台頭に伴い地方でミニシアター作品が上映されなくなったことなどからこのような活動が盛んになった。概念としてはドイツのコミナール・キノを元としている。
 
<div class="NavFrame" style="border: none; text-align: left; font-size: 100%">
== 映画興行会社 ==
<div class="NavHead" style="background: transparent; text-align: left; font-weight: normal">''一覧を見るには右の[表示]をクリック''
2013年4月現在の日本の映画興行会社、団体を以下に示す。個人事業主によって運営されているものは映画館名のみ記載した<ref name="eigakanmeibo2013">{{Cite book |author=一般社団法人日本映画製作者連盟配給部会 |authorlink=日本映画製作者連盟 |year=2012 |title=映画館名簿2013年版 |publisher=時事映画通信社 }}</ref>。また、一部が地域の興行組合等に加盟していることから、年間を通じて上映を行なっている[[シネマテーク]]についても記載した。
</div>
<div class="NavContent">
映画配給会社系列、または全国展開している独立系興行会社とその関連会社であるが、ルールがあるので、この記事では掲載しない。
 
=== 全国・大手 ===
映画配給会社系列、または全国展開している独立系興行会社とその関連会社を記載した。
* [[東宝]]系
** [[TOHOシネマズ|TOHOシネマズ株式会社]](TOHOシネマズ、シネマメディアージュ、[[札幌シネマフロンティア]]) [http://www.tohocinemas.co.jp/] - <small>シネマコンプレックス、従来館</small>
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* [[東京テアトル|東京テアトル株式会社]](テアトル、シネ・リーブル、ヒューマントラストシネマ他) [http://www.theatres.co.jp/] - <small>ミニシアター、従来館</small>
 
==== 北海道地方 ====
* 有限会社スコルピオ([[蠍座 (札幌市)|蠍座]]) - <small>[[名画座]]</small>
* 株式会社札東映画劇場(札東劇場) - <small>[[ポルノ映画|成人映画館]]</small>
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* 三上興行株式会社([[大黒座]]) - <small>ミニシアター</small>
 
==== 東北地方 ====
* 株式会社奈良屋劇場([[シネマディクト]]) [http://www.cinemadict.com/] - <small>ミニシアター</small>
* 有限会社シネマセンター([[イオンモールつがる柏|シネマヴィレッジ8・イオン柏]]、[[青森松竹アムゼ]]) [http://www.cinemavillage8.com/][http://www.s-cinema.com/] - <small>シネマコンプレックス、従来館</small>
194 ⟶ 224行目:
<!-- 近年の営業が確認できず * 渡辺興業社(常葉劇場) -->
 
==== 関東地方 ====
* [[籏興行|簱興行株式会社]]([[シネスイッチ銀座]]) [http://www.cineswitch.com/] - <small>ミニシアター</small>
* [[ヒューマックスシネマ|株式会社ヒューマックスシネマ]](<!--2013年3月31日閉館 銀座シネパトス、-->HUMAXシネマズ) [http://www.humax-cinema.co.jp/] - <small>ミニシアター、シネマコンプレックス</small>
268 ⟶ 298行目:
* プレビ株式会社([[スマーク伊勢崎|プレビ劇場]]) [http://www.plabi-isesaki.jp/] - <small>シネマコンプレックス</small>
 
==== 中部地方 ====
* (映劇大要) - <small>成人映画館</small>
* 有限会社新潟市民映画館([[新潟・市民映画館シネ・ウインド|新潟シネ・ウィンド]]) [http://www.cinewind.com/] - <small>ミニシアター</small>
328 ⟶ 358行目:
* 伊井興行([[テアトルサンク]]) [http://www.theatrecinq.jp/] - <small>従来館</small>
 
==== 近畿地方 ====
* 宝来興業株式会社(淡路東宝) [http://www.awajitoho.com/] - <small>従来館</small>
* 有限会社第七藝術劇場([[第七藝術劇場]]) [http://www.nanagei.com/] - <small>ミニシアター</small>
369 ⟶ 399行目:
* 大和興業株式会社(駅前名画座) - <small>成人映画館</small>
 
==== 中国地方 ====
* [[福武観光|福武観光株式会社]](メルパ、ジョリー東宝) [http://www.merpa.info/] - <small>従来館</small>
* 有限会社シネマ・クレール([[シネマ・クレール|シネマ・クレール丸の内]]) [http://www.cinemaclair.co.jp/] - <small>ミニシアター</small>
388 ⟶ 418行目:
<!-- 2012年9月29日休館 * 小林興業株式会社(岩国ニューセントラル)-->
 
==== 四国地方 ====
* ユーフォーテーブル有限会社([[ufotable CINEMA]]) [http://www.ufotable.com/] - <small>ミニシアター</small>
*[[ソレイユビル|株式会社ソレイユ]](ホールソレイユ・ソレイユ2) [http://www.kagawa-soleil.co.jp/] - <small>ミニシアター</small>
397 ⟶ 427行目:
* 株式会社南映(高知小劇) - <small>成人映画館</small>
 
==== 九州地方 ====
* 株式会社大洋映画劇場([[大洋映画劇場|中洲大洋映画劇場]]) [http://www.nakasu-taiyo.co.jp/] - <small>従来館</small>
* 澄川興産株式会社(駅前パレス・ロマン) - <small>成人映画館</small>
431 ⟶ 461行目:
* 株式会社クランク([[桜坂 (那覇市)|桜坂劇場]]) [http://www.sakura-zaka.com/] - <small>ミニシアター</small>
* 有限会社シネマパニック(シネマパニック宮古島) [http://www.just.st/index.php?in=303626&pan=top] - <small>従来館</small>
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== 脚注 ==
[[File:Cinema_odeon_firenze_1.JPG|thumb|right|300px|[[フィレンツェ]]のCinema Odeon館内]]
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