「水原秋桜子」の版間の差分

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また秋櫻子は中学時代には野球に熱中しており、晩年も[[西武ライオンズ]]のファンとして熱心に野球観戦もしていた<ref name=A1/>。「ナイターの光芒大河へだてけり」など、[[ナイター]](夏の[[季語]])を詠んだ句も多く残している。
 
== 代表的句集 ==
* 『葛飾』(馬酔木発行所、[[1930年]](昭和5年)4月)
* 『霜林(そうりん)』(目黒書店、[[1950年]](昭和25年)12月)
: のちに邑書林句集文庫(1996年)
* 『残鐘(ざんしょう)』(竹頭社、[[1952年]](昭和27年)12月)
 
== 家族・親族 ==
妻は[[日本文学研究者|国文学者]]・吉田彌平の長女<ref name="大正人名辞典">『大正人名辞典 II』、ヨ 32頁。</ref>。彌平の次男が[[山の上ホテル]]の創業者・吉田俊男であり<ref name="大正人名辞典"/><ref name="財界家系譜大観">『財界家系譜大観』 第6版 - 第8版。</ref>、次女が[[歴史哲学|歴史哲学者]]の[[由良哲次]]に嫁いでいるため<ref name="大正人名辞典"/>、俊男と哲次はともに秋櫻子の義弟にあたる。また[[イギリス文学者]]の[[由良君美]]は哲次の長男であり、[[下河辺牧場]]代表の[[下河辺俊行]]は吉田俊男の娘婿であるため<ref name="財界家系譜大観"/>、君美と下河辺はともに秋櫻子の義理の甥にあたる。長男の[[水野春郎]]は[[聖マリアンナ医科大学]]名誉教授。秋桜子の没後、「馬酔木」発行人を経て1984年より主宰を務めた。2012年より、その長女の徳田千鶴子が「馬酔木」主宰を継承している。
 
== 著作 ==
* 『葛飾』(馬酔木発行所、[[1930年]](昭和5年)4月
*『秋櫻子句集』(素人社、1931年)
*『新樹』(香蘭社、1933年)
*『秋苑』(龍星閣、1935年)
*『岩礁』(沙羅書店、1937年)
*『蘆刈』(河出書房、1939年)
*『古鏡』(甲鳥書林、1942年)
*『雪蘆抄』(石原求龍堂、1942年)
*『磐梯』(甲鳥書林、1943年)
*『重陽』(細川書店、1948年)
*『梅下抄』(武蔵野書店、1948年)
: *『霜林』(目黒書店、1950年)のちに邑書林句集文庫(1996年)
* 『残鐘(ざんしょう)』(竹頭社、[[1952年]](昭和27年)12月
*『帰心』(琅玕洞、1954年)
*『玄魚』(近藤書店、1957年)
*『蓬壺』(近藤書店、1959年)
*『旅愁』(琅玕洞、1961年)
*『晩華』(角川書店、1964年)
*『殉教』(求龍堂、1969年)
*『緑雲』(東京美術、1971年)
*『餘生』(求龍堂、1977年)
*『蘆雁』(東京美術、1979年)
*『水原秋桜子全句集』(全21巻、講談社、1977年)
以上の句集のほか、随筆、紀行、鑑賞文などの著書が多数ある。
 
== 註 ==
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