「ワグナーチューバ」の版間の差分

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また、ワーグナーは、金管楽器を音色の異なる4種類のグループに編成しようと考え、[[トランペット]]セクションに[[バストランペット]]、[[トロンボーン]]セクションに[[バストロンボーン#コントラバス・トロンボーン|コントラバストロンボーン]]を追加し、ホルンは8本に増強した<ref name="W.P">ウォルター・ピストン『管弦楽法』戸田邦雄 訳、音楽之友社、1967年 ISBN 4-276-10690-7 P.303</ref>。
 
[[チューバ]]セクションについては、ハ調(C)または変ロ調(B♭)のコントラバスチューバ(通常の「[[チューバ]]」)に、テナーおよびバスチューバを2本ずつ追加する形とした。新しく追加されたチューバをホルン奏者が担当するという事情から、劇場スタッフの一員であり、ホルン奏者でもあった[[ハンス・リヒター (指揮者)|ハンス・リヒター]]が楽器の調達にあたった。「ニーベルングの指環」のバイロイト初演の前年である1875年に至るまで、ドイツ中のいくつもの楽器工房で試作が繰り返されたという<ref>Anthony Baines "BRASS INSTRUMENTS" DOVER PUBLICATIONS, INC. New York, 1993 ISBN 0-486-27574-4 P.264</ref>。ドイツのアレキサンダー社([[:en:Gebr. Alexander|Gebr. Alexander]])は、ワーグナーの要請で自社のみがこれらの楽器を作成し、それが採用されたと受け止められかねないような主張をしている<ref name="A.H,P">アレキサンダー社のカタログより</ref> が、伝統的に見れば、ドイツでは主にモリッツ([[:de:Carl Wilhelm Moritz|Carl Wilhelm Moritz]])の製作した楽器が用いられていたと考えるのが妥当なようであられている<ref>Anthony Baines "BRASS INSTRUMENTS" DOVER PUBLICATIONS, INC. New York, 1993 ISBN 0-486-27574-4 P.264</ref>。
 
実際、ワグナーチューバ登場以前の類似の楽器は、枚挙に暇がない。例えば1844年にチェコの金管楽器製作者ヴァーツラフ・チェルヴェニー([[:cs:Václav František Červený|Václav František Červený]])の考案したチューバに似た金管楽器「コルノン」(cornon)は、ホルンと同じような小型のマウスピースを用い、左手で[[金管楽器#バルブ|ヴァルヴ]]を操作するものであったことが確認できる<ref>Günter Dullat "V.F.Červený & Söhne" Günter Dullat, Nauheim 2003 P.27-28</ref>。[[ユーフォニアム#ユーフォニアムと音域が近い楽器|テノールホルン]]や[[ユーフォニアム#各国のユーフォニアム|バリトン]]も、すでに登場していた。従って、リヒターが新しい楽器の製造依頼に奔走したのは、「全く新しい楽器の発明」というよりも、むしろ「ホルン奏者が演奏できるチューバの必要性」という切実な事情によったのではないかとも考えられる。