「ニューヨーク・ヤンキース (NFL)」の版間の差分

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チームの誕生は、[[シカゴ・ベアーズ|ベアーズ]]のスター選手[[レッド・グランジ]]の契約問題に端を発する。グランジの代理人であった[[C.C.パイル]]は、グランジの保有権が自分にあることを主張し、ベアーズに多額の契約金とベアーズの保有権の3分の1をベアーズのオーナーに要求したが、拒否をされた。次にパイルは、グランジの保有権が自分にあることをオーナー会議でオーナー達に示した上で、ニューヨークを本拠地とした新球団の保有権を認めるように主張し、それが認められない場合は自分で新リーグを設立すると主張した。ニューヨークにおけるフランチャイズは[[ニューヨーク・ジャイアンツ]]に対して排他的に認められていたことから、リーグはパイルの要求を拒否した。リーグはパイルの要求を拒否したものの、当時、グランジの人気が非常に高く、グランジが敵対リーグに所属することがNFLに財政的な打撃を与えることはリーグの共通認識であった。そこで、リーグはニューヨーク中心部ではなく、ニューヨーク郊外のブルックリンに本拠地を認める妥協案をパイルに提示したが、パイルはすでに[[ヤンキー・スタジアム (1923年)|ヤンキー・スタジアム]]と賃貸契約を済ませていたので、パイルは妥協案を拒否し、[[アメリカン・フットボール・リーグ (1926年)|AFLⅠ]]の設立とともにチームも設立された。
 
新リーグでは、グランジ人気での出場試合はNFLの倍の観客を動員したが、グランジが出場していない試合は観客動員が思わしくなく、1シーズンでリーグは解散した。フランチャイズ権の競合から1926年のオーナー会議でパイルの要求を拒否していたジャイアンツのオーナーは、グランジの人気がリーグに必要であることから、ヤンキースのNFL参入へと動き、この年に解散した[[ブルックリン・ライオンズ]]の債務を肩代わりすることにより、ライオンズのフランチャイズ権を取得し、このフランチャイズ権をヤンキースに貸与する形でヤンキースをNFLへ参入させた。貸与契約は3年契約でヤンキースがヤンキー・スタジアムを使用する試合数を制限することで合意した。チームは1929年シーズン終了までのリーグ参入権を得たものの、足を怪我したグランジが[[1928年のNFL|1928年シーズン]]から古巣ベアーズへと復帰し、1929年シーズン開幕前に解散した。
 
== シーズン成績==