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=== 日本の気象学の歴史 ===
[[File:Sekka zusetsu.jpg|thumb|240px|right|『雪華図説』。[[土井利位]]著、1832([[天保]]3)年刊。[[国立科学博物館]]の展示。]]
日本には自然観察に基づく経験則によって生み出された[[農事暦]]などは存在したが、体系的な気象学が入ってくるのは、[[江戸時代]]後期以後である。とはいえ、全くそれ以前に気象学が無かったわけではなく、[[アリストテレス]]西洋の気象学は部分的ながら[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に[[宣教師]]を通じて流入していた。[[山鹿素行]]は[[風]]が地表を移動する空気の流れである事には気づいていた。これは西洋で気象学が盛んになる前の発見であったが、彼の関心は[[軍学]]の一環としての物であり、独自の[[学問]]としては発達しなかった。[[蘭学]]の流入以後わずかながら気象の動きに抱く人も出てきて、[[柳沢信鴻]]や[[司馬江漢]]のように気象の状況について詳細な記録を残す人も登場した。[[土井利位]]が自ら[[顕微鏡]]で観察した[[雪]]の[[結晶]]についての研究書である『[[雪華図説]]』はよく知られている。
 
[[天保]]年間以後[[江戸幕府]][[天文方]]で気象観測が行われるようになり、[[安政]]4年には[[伊藤慎蔵]]によって本格的な気象書の翻訳である『[[颶風新話]]』が刊行された。なお、meteorologyを「気象学」と訳した最初の文献は[[明治]]6年の『[[英和字彙]]』である。2年後、東京気象台が設置され、明治17年には天気予報が開始、明治20年には[[中央気象台]]が発足されるとともに気象台測候所条例が制定され、日本の気象学が本格的に勃興することになる。