「ボビー・ジョーンズ (ゴルファー)」の版間の差分

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また、競技ゴルフを止めて6年ほど経ち、[[セント・アンドルーズ]]でプライベートに友人とプレーをしている時に、それを聞きつけた近所の住民 2,000人ほどが彼を一目見ようとコースに集まってきたというエピソードがある。1958年10月9日のスピーチでは、「セント・アンドルーズのコースを学べば学ぶほど、このコースをより深く愛するようになった。そして愛すれば愛するほど、より多くのことを学んだ。セント・アンドルーズでの経験さえあれば、たとえ生涯で得た他の全てのものを失っても、私の人生は本当に満たされている」と語っている<ref>「St. Andrews & the open championship」デビッド・ジョイ(ゴルフダイジェスト社)、124頁</ref>。
 
[[1948年]]に[[脊髄空洞症]]の診断を受け、車椅子の利用を余儀なくされていたが、[[1971年]]没。ボビーの没後、[[1974年]]に[[世界ゴルフ殿堂]]が設立された。ボビーは最初に殿堂入りした名選手のひとりに数えられる。
 
== 参考文献 ==