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{{基礎情報 書籍
[[画像:Kanita stn Dazai-Tsugaru-Kb.jpg|thumb|240px|[[蟹田駅]]ホームの記念看板]]{{Portal|文学}}
| title = 津軽
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| author = [[太宰治]]
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| published = [[1944年]][[11月15日]]
| publisher = [[小山書店]]
| genre = 小説
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| language = [[日本語]]
| type = B6版
| pages = 273
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『'''津軽'''』(つがる)は、[[太宰治]]の[[小説]]。
 
[[1944年]][[11月15日]]、[[小山書店]]より刊行された。初版発行部数は3,000部、定価は3円だった<ref>『太宰治全集 7』[[ちくま文庫]]、1989年3月28日、443頁。解題([[関井光男]])より。</ref>。本文中に著者直筆の津軽略図および挿絵4点を収める。
『'''津軽'''』(つがる)は、[[太宰治]]の[[小説]]。[[1944年]]([[昭和]]19年)5月から3週間にわたり、執筆依頼を受けて[[津軽半島]]を旅行したことを題材にしている。同年に、[[小山書店]]から「新風土記叢書」の第七編として刊行。
 
津軽の地理や人々を描いた[[紀行文]]のようにとれるが、研究者の多くは、太宰の周りを前景化し、物語性を持つので、この作品を自伝的小説とみなしている。
 
== 執筆の時期・背景 ==
現行版は、[[岩波文庫]]、[[新潮文庫]]、[[角川文庫]]等で刊行されている。
本書は小山書店の依頼を受け、「新風土記叢書」の第7編として書かれたものである。「十五年間」(『文化展望』1946年4月号)という文章で太宰は次のように書いている。「私は或る出版社から旅費をもらひ、津輕旅行を企てた。その頃日本では、南方へ南方へと、皆の関心がもつぱらその方面にばかり集中せられていたのであるが、私はその正反對の本州の北端に向つて旅立つた。自分の身も、いつどのやうな事になるかわからぬ。いまのうちに自分の生れて育つた津輕を、よく見て置かうと思ひ立つたのである」
 
1944年5月中旬から取材のため津軽地方を旅行し、6月初めに帰京した。本書が完成したのは1944年7月末である<ref>太宰から[[小山清]]宛てに出した1944年8月1日付の手紙に「女房出産やら、何やらから、五、六、七月まるで無我夢中でした。(中略) あちこち往來しながら、それでも『津輕』三百枚書き上げました」と書かれてある。</ref>。
 
== あらすじ ==
私(津島修治)は、久しぶりに故郷・[[金木町]](旧・金木村)に帰ることになった。そのついでに、津軽各地を見て回ることにして、懐かしい人々と再会する。そして[[小泊村]]を訪ね、かつて自らの子守りをしてもらった、越野タケを探し当てる。
 
== 作品背景 ==
[[相馬正一]]の研究(『評伝 太宰治』、[[筑摩書房]]、改訂版津軽書房ほか)によれば、作中の竜神様の場面において、タケとは一言も言葉を交わしていなかったとしている。また、運動会の場面において、太宰は一人離れて周りの景色を見ていた。このようにフィクションを練りこんで書いてあるので、一般に小説とされている。
 
== 行程 ==
[[東京]]発 - [[青森市|青森]]経由、[[蟹田町|蟹田]]泊([[中村貞次郎]]宅) - [[三厩村|三厩]]泊 - [[竜飛]]泊 - 蟹田泊帰(中村宅) - [[金木町|金木]]泊([[太宰治記念館 「斜陽館」|生家]]) - [[五所川原市|五所川原]]、[[木造町|木造]]経由、[[深浦町|深浦]]泊 - [[鯵ヶ沢町|鯵ヶ沢]]経由、五所川原泊 - 小泊泊 - 蟹田泊(中村宅) - 東京帰着
 
[[画像:Kanita stn Dazai-Tsugaru-Kb.jpg|thumb|240px|[[蟹田駅]]ホームの記念看板]]{{Portal|文学}}
 
== 備考 ==
* [[相馬正一]]の研究(『評伝 太宰治』、[[筑摩書房]]、改訂版津軽書房ほか)によれば、作中の竜神様の場面において、越野タケとは一言も言葉を交わしていなかったとしている<ref>相馬正一 『評伝 太宰治 改訂版』上巻、下巻、津軽書房、1995年3月。</ref>。また、運動会の場面において、太宰は一人離れて周りの景色を見ていた。このようにフィクションを練りこんで書いてあるので、一般に小説とされている。
 
* 小説家の[[長部日出雄]]は、昭和40年代の半ばに小泊に越野タケを訪ね、話を聞いたことがあるという。長部も自著(太宰の評伝)の中で、太宰とタケとの間に会話はなかったと述べている<ref>[[長部日出雄]] 『桜桃とキリスト もう一つの太宰治伝』[[文藝春秋]]、2002年3月30日、281-282頁。</ref>。
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==