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→‎歴史: ナポレオン戦争
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近世に入ると、ヨーロッパでは[[火器]]の発達により重装の槍騎兵は廃れたが、自らも火器を活用するようになった騎兵は依然として一線で活躍した。スペインとポーランドを除いた諸国では[[16世紀]]末までに騎兵はピストルとサーベルを装備することになった<ref>学研 歴史群像グラフィック戦史シリーズ 戦略戦術兵器事典3 ヨーロッパ近代編p80</ref>。なお、16世紀半ばからスペインは騎兵に小銃を装備させていた。例外的にポーランドの[[ユサール#ポーランド騎兵|フサリア]]は当初は軽騎兵であったが、16世紀にはランスで突撃を行う重騎兵に発展し、18世紀まで活躍した。
 
近世の重騎兵の主流は胸甲(キュイラス)を身にまとっていことから[[胸甲騎兵]](cuirassier)と呼ばれ、であった。胸甲騎兵は崩れかけた敵陣を突撃によって粉砕するといった役割を負った。突撃を銃で支援する火縄銃騎兵や[[カービン]](騎兵銃)騎兵と言っ騎兵も存在した。このころ[[グスタフ2世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ・アドルフ]]や[[フリードリヒ2世 (プロイセン王)|フリードリヒ大王]]らによって、[[歩兵]]、[[砲兵]]と組み合わせる近代的な騎兵の運用方法が工夫された。
 
[[19世紀]]はじめの[[ナポレオン戦争]]期には[[ナポレオン・ボナパルト]]率いる[[大陸軍 (フランス)|大陸軍]]が騎兵による集団突撃を重視したため、重騎兵が活躍した。大陸軍の重騎兵には胸甲騎兵の他カービン騎兵(仏Carabiniers-à-Cheval)等も存在しそれぞれ騎兵連隊に編成されていた。

近代以降、戦場における火器の進化により装甲が用をなさなくなったこともあり、重騎兵は軽騎兵に吸収される形で次第に消滅した。胸甲騎兵など各種の重騎兵は[[19世紀]]はじめの[[ナポレオン戦争]]期以降から、活躍の場が減り始め、彼らが最後に活躍したのは[[クリミア戦争]]や[[普仏戦争]]と言われている。なお、ヨーロッパでは普仏戦争以降、[[第一次世界大戦]]まで、大規模な戦争はない。また19世紀以降、銃器の[[ライフリング]]が普及すると背の高い騎兵は格好の狙撃の的となるため、機動力を利用しての偵察や奇襲、後方撹乱などでの運用が中心となった。第一次世界大戦まではかろうじて存在したが、その後は完全に戦場から姿を消した。また同じ頃から、機械化、中でも[[航空機]]と[[戦車]]の導入が進んだことにより、[[戦後|第二次世界大戦後]]は騎兵そのものが消滅した。
 
胸甲騎兵など重騎兵の名称は、かつて重騎兵が担っていた機動力およびその高速力を生かした敵中への突破を任務とする[[戦車]]をはじめとする[[機甲部隊]]や空中機動部隊の伝統名称として、現在でも一部の部隊で用いられている。