「アンドレス・ゴメス」の版間の差分

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ゴメスは[[1978年]]から男子テニス国別対抗戦・[[デビスカップ]]の[[エクアドル]]代表選手になり、翌[[1979年]]にプロ入りした。プロ入りの翌年から、ゴメスはダブルスで優れた力量を発揮し始め、[[1980年]]にダブルスで年間4勝を獲得する。[[1981年]]は9月の[[フランス]]・[[ボルドー]]大会でシングルス初優勝を果たし、ダブルスで年間7勝を記録したが、当時彼がよくパートナーを組んでいた選手は、[[チリ]]の[[ハンス・ギルデマイスター]]であった。[[1984年]]にゴメスはシングルスでも著しい躍進を見せ、男子ツアー大会のシングルスで年間5勝を挙げ、[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]でも[[1984年全仏オープン|全仏オープン]]・[[1984年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]・[[1984年全米オープン (テニス)|全米オープン]]の3大会連続でベスト8に入り、世界ランキングを5位に上げた。[[1986年]]の[[1986年全米オープン (テニス)|全米オープン]]男子ダブルスで、ゴメスは[[スロボダン・ジボイノビッチ]](当時[[ユーゴスラビア]])とペアを組み、決勝で[[スウェーデン]]ペアの[[マッツ・ビランデル]]&[[ヨアキム・ニーストロム]]組を 4-6, 6-3, 6-3, 4-6, 6-3 のフルセットで破って初優勝を飾った。[[1986年]]はシングルスで年間4勝、ダブルスで全米オープンを含む7勝を挙げている。
 
[[1988年]]、ゴメスは[[1988年全仏オープン|全仏オープン]]ダブルスで[[エミリオ・サンチェス]]([[スペイン]]、[[アランチャ・サンチェス・ビカリオ]]の長兄)とペアを組み、2度目の4大大会男子ダブルス優勝を果たした。ゴメスとサンチェスは、決勝で[[ジョン・フィッツジェラルド (テニス選手)|ジョン・フィッツジェラルド]]([[オーストラリア]])&[[アンダース・ヤリード]]([[スウェーデン]])組を 6-3, 6-7, 6-4, 6-3 で破っている。この年は[[日本]]の「[[セイコー・スーパー・テニス]]」でのダブルス優勝もあり、パートナーは2年前の全米オープンと同じ[[スロボダン・ジボイノビッチ]]と組んだ。しかし、この頃のゴメスは単複とも好成績が少なかった。
 
30歳を迎えた[[1990年]]の[[1990年全仏オープン|全仏オープン]]で、アンドレス・ゴメスにテニス経歴最大のハイライトが訪れる。第4シードから勝ち進んだゴメスは、初進出の決勝で若き[[アンドレ・アガシ]]と顔を合わせた。南米のベテランと20歳のアメリカの若者の激突は、6-3, 2-6, 6-4, 6-4 でゴメスが制した。こうしてゴメスは、[[エクアドル]]出身のテニス選手として最初の4大大会シングルス優勝者になった。初優勝時の年齢「30歳3ヶ月」は、全仏オープンの男子シングルスでは4番目の年長記録となった。(アガシはここからしばらく準優勝が続き、苦しい時期を迎える。)しかし、その後[[1990年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]と[[1990年全米オープン (テニス)|全米オープン]]で2大会連続初戦敗退に終わる。[[1991年]]にはトーナメント出場が激減し、大会前年優勝者としての[[1991年全仏オープン|全仏オープン]]にも参加できなかった。
 
ゴメスは[[1993年]]に現役を引退した後も、[[デビスカップ]]には長く参加を続け、親類関係にある[[ニコラス・ラペンティ]]とのダブルス戦に出場した。現在はコーチとして後進の育成に携わっている。
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