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[[1975年]]3月、[[長野県松本深志高等学校]]を卒業。高校3年次在学中、[[東京大学教養学部]]文科2類を受験。[[英語]]、[[国語]]、[[数学]]が得意科目であった一方、[[歴史]]の知識問題などは、そのような分野で点数をとるのは邪道と勉強を放棄した。東大受験前に受けた模擬試験「[[オープン (模試)|東大オープン]]」では、英語、国語、数学、地理、歴史等の全科目の総合得点で全国80位程度、英語だけなら全国3位という好成績であった<ref name="exam">[http://hochi.yomiuri.co.jp/feature/topics/20070615-345185/news/20080207-OHT1T00063.htm 有名人が語る受験必勝法 一橋大法学部合格、新党日本代表・田中康夫氏:直撃インタビュー:社会特集:スポーツ報知] [[スポーツ報知]]</ref>が、本試験の結果は不合格だった。そのため、同年3月、上京し、東京の[[駿台予備学校]]で浪人生活を送る。この際、[[駿台文庫]]の『基本英文700選』を愛用し、後に著書『田中康夫の大学受験講座』(1988年、[[マガジンハウス]])においても同書を激賞している。この予備校時代は、服などブランドものを買いあさる生活を送った。この日々が後に、大学在学中に執筆し、作家デビュー作となった『[[なんとなく、クリスタル]]』([[文藝賞]]受賞)のモチーフとなっている<ref name="exam" />。
 
[[1976年]][[4月]]、[[一橋大学]][[法学部]]入学{{要出典範囲|date=2014年12月|しばしば田中は著書内で法学部出身であることを表す際に「方角を間違えて阿呆学部に入った僕は…」との表現を用いる。}}法学部後期には国際政治学の[[細谷千博]]教授のゼミナールに所属。政治学者の[[井上寿一]]・[[学習院大学]]学長はゼミの同期で、 BS11「田中康夫のにっぽんサイコー!」にしばしば出演する。
 
[[1980年]]、第1作・小説『[[なんとなく、クリスタル]]』を執筆し、同年同作で「[[文藝賞]]」を受賞する。同作が執筆された背景には田中の所属していたサークル「一橋マーキュリー」での[[横領]]事件(サークル員の合意を取らずに資金を流用してサークル用に神宮前のマンションを借りていた事件)がある。当時田中は[[日本興業銀行]](現[[みずほ銀行]]ないし[[みずほフィナンシャルグループ]])から内定を得ていたが、事件を起こしたとして卒業予定日の直前に[[停学]]処分を受け[[留年]]し、そのあおりで[[日本興業銀行]]からもらっていた内定は取り消された。この停学期間を利用して、『なんとなく、クリスタル』は執筆された。{{要出典範囲|date=2014年12月|なお、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]からも内定があった。}}
==== 親小沢・反小泉 ====
 
田中が政治的[[ニッコロ・マキャヴェッリ|マキャベリスト]]としてしばしば賞賛する[[小沢一郎]]、[[鳩山由紀夫]]とは比較的近い距離にあり、[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]が野党であった[[2003年]]11月には閣僚予定者名簿(当時の民主党「[[次の内閣]]」の閣僚名簿とは異なる)で無任所大臣(地方主権担当)に指名された。一方で[[松下政経塾]]出身者、特に[[前原誠司]]に対しては「机上の空論」<ref>[http://spa.fusosha.co.jp/spa0004/number00007238.php 4月4日の記述]</ref><ref>[http://spa.fusosha.co.jp/spa0004/number00007251.php 7月11日の記述]</ref>や「議員となるのが自己目的化している」「頭でっかち」<ref>[http://spa.fusosha.co.jp/spa0004/number00007404.php 11月21日のキャプション]参照</ref>と批判している。{{要出典範囲|date=2014年12月|松下政経塾出身者以外にも[[菅直人]]や[[仙谷由人]]、[[岡田克也]]などへの批判をしばしば行っている。}}
 
2009年に民主党が政権を獲った後は田中が代表を務める新党日本は与党として取り扱われている。ただしその形態は鳩山内閣時には民主党と統一会派を組んでいたのに対して、菅内閣になってからは[[亀井静香]]が代表を務める国民新党と統一会派を組んでいる。小沢や鳩山と必ずしも意見が一致しておらず、民主党の2009年マニフェストの結果として成立した[[農業者戸別所得補償制度]]や子供手当て法、[[事業仕分け (行政刷新会議)|事業仕分け]]などにも批判を加えたり、内閣の状況を「スポットライト症候群(個々の閣僚の意見が拡散していく状況)に陥っている」「お子ちゃま内閣」などと評したりもしている。
 
==== ウルトラ無党派 ====
旧来の自民党的なばらまき政治・土建屋[[箱物行政]]や官僚主導の政治を批判・解体したり、長野新幹線や神戸空港への建設反対などの市民運動に参加したりしたこともある一方で、[[左派]]の労働組合主義にも否定的であり、草の根市民運動に携わってきたことから自らを「ウルトラ[[無党派]]」「真の『保守』」<ref>[http://www.nippon-dream.com/archives/daihyo_M2009.htm#206 ぼくこそ真の「保守」なのです]</ref>としている。官僚や労組以外でも(個々の構成員は純粋でも全体になると)「人の顔が見えない」組織・団体やそこに存在する利権を嫌悪する傾向にある。これは選挙戦にも反映され、運動は主に勝手連的に行われている。{{独自研究範囲|date=2014年12月|市民運動に加担した過去からいわゆる市民派左派だと思われがちではあるが[}}[年越し派遣村]]を視察した際の感想として「[[憲法第9条]]維持など立て看板に政治的思惑があるものがあり運動に左派勢力が介在している。」と[[アクセス]]で批判的な感想を述べている。
 
==== 経済への考え方 ====
 
==== 対外思想 ====
{{要出典範囲|date=2014年12月|[[アフガニスタン侵攻]]や[[イラク戦争]]を引き起こした[[ジョージ・W・ブッシュ|ジョージ・W・ブッシュ政権]]とそれを支持する自民党[[親米保守]]派を批判し、「[[反米]]」や「嫌米」ならぬ、アメリカと友好関係は保ちつつも言うべき意見は言う「諌米」と他国に依存しない自立外交を主張している。}}
 
{{要出典範囲|date=2014年12月|一方、[[ビル・クリントン]]政権については、好意的な見方をすることが多く、[[モニカ・ルインスキー]]とのスキャンダル時にも擁護的な意見を述べていた。また、政権下で副大統領を務めた[[アル・ゴア]]についても評価しており、[[ベネズエラ]]の[[ウゴ・チャベス]]反米左派政権の自立路線を賞賛している。}}
 
{{要出典範囲|date=2014年12月|マニフェストでは日本の位置が要衝であるとして「交差点外交」や、自衛隊を「[[サンダーバード (テレビ番組)|サンダーバード隊]]」に改組して国際的に災害救助を行うことを提案している。マニフェストでは自衛権の放棄は主張していない<ref>新党日本2009マニフェスト</ref>}}
 
{{要出典範囲|date=2014年12月|[[外国人参政権]]の立法化にも一時期は積極的な見解を持っていたようで、2009年衆院選時点におけるYahoo!みんなの政治でのアンケートでは相互主義の観点から、在留日本人に[[選挙権]]を付与している国の場合に限り、日本に在留するその国の国民に選挙権を与えるべきとの意見をかつては表明していた}}。2007年11月8日国会開催期間中に[[在日本大韓民国民団]]が主催する「永住外国人地方参政権の早期立法化を訴える全国決起大会」にも参加した<ref>[http://spa.fusosha.co.jp/spa0004/number00010048.php 3月4日の記述]</ref>。2008年4月16日に開催された在日本大韓民国民団が開催した外国人[[参政権]]推進集会に賛同。ただし2013年現在は[[帰化]]制度を改善することが優先されるべきと慎重な立場を取っている<ref>[http://spa.fusosha.co.jp/spa0004/number00011317.php 7月10日の記述]</ref>。
 
その一方で[[第170回国会]]では[[国籍法 (日本)|国籍法]]改正の際は外国籍女性と日本人男性の間に生まれた子供の日本国籍付与の際には[[DNA型鑑定|DNA鑑定]]を行うべきと主張した<ref>[http://seiji.yahoo.co.jp/giin/nihon/000807/0170/0170017003009.html Yahoo!みんなの政治 田中康夫 議案コメント]</ref>。
 
{{要出典範囲|date=2014年12月|以前より、オリンピックのナショナリズム的側面自体を好んでおらず<ref>[http://dw.diamond.ne.jp/yukoku_hodan/200410 『日本を取り巻く無責任の体系』「続・憂国呆談」番外編Webスペシャル]</ref>、2016年の東京へのオリンピック招致にも「オリンピックはインフラ整備のため途上国で行うべき」と批判的立場を取っていた。ただし2014年現在は2020年オリンピックについては開催は国際公約であるとして否定的立場は取っていない。}}
 
==== 地方自治への意見 ====
田中の出馬表明時には現職知事[[吉村午良]]の後継と目されていた前[[副知事 (日本)|副知事]]が[[日本共産党]]以外の[[県議会議員]]や[[農業協同組合]]や[[建設業]]団体など多くの業界団体の支持を得ていて当選確実だと言われていたが、{{要出典範囲|date=2014年12月|旧態依然とした長野県政の現状に加え[[長野オリンピック]]の運営費をめぐる使途不明などのスキャンダルに批判が集中した。}}
 
連合の組織的な支援に加え、{{独自研究範囲|date=2014年12月|若さと清新なイメージ}}で幅広い支持を受け初当選を果たし、[[2000年]][[10月26日]]に長野県知事に就任する(なお疑惑の中心人物として名が挙がっていた「ミスターナガノ」こと[[吉田總一郎]]は、その後田中康夫の後援会「しなやか会」の幹部となった)。
 
=== 長野県知事時代 ===
[[小説]]や[[エッセイ]]以外にも、日記文学や各種評論の著書も多い。特に普段から利用している[[ホテル]]や[[レストラン]]、[[百貨店|デパート業界]]などへの評論活動が知られており、著書だけではなく多数の雑誌への連載も行っていた。なお、長野県知事時代は、公的な立場であるため評論活動は、自身の政策、活動の主張を盛り込んだ「ペログリ日記」や「愛の大目玉」などに限っていた。
 
「是々非々で評価する」として、田原総一朗や[[筑紫哲也]]、田崎真也など親交の深い関係にある対象でも容赦なく批判することも、かつて激しく叩いた対象を一転して評価することも多い。例えば前出のようにデビュー時に『なんとなく、クリスタル』を高く評価した江藤淳にも忌憚なく意見を述べていた。親しい間柄にあった人物にもこうした意見を行うへの批判に対しては著作やマスメディア出演時、公式ブロマガなどで「友人が道を誤りそうになったら正すのが真の友人」と反論し、単純に「批判」しているわけではないと述べている
 
運輸、サービス業界に対しては、1980年代後半には、当時半官半民体制であった[[日本航空]](日航、JAL)の閉鎖的体質を、1990年代前半には事実上の独占状態であることについて[[JR]]を、1990年代後半には日本航空に代わり閉鎖的体質になったとして[[全日本空輸]](全日空、ANA)を批判した。JR批判の際は、批判が掲載された「SPA!」が、数ヶ月間全てのJRの駅[[キヨスク|キオスク]]売店に置かれなくなるなどの嫌がらせをJRから受けることもあった。
== テレビ・ラジオ出演 ==
=== テレビ ===
「テレビは見るものではなく出るもの」が持論で、ほとんどテレビ視聴の習慣はないと1994年当時の「ペログリ日記」内で記している。「なんとなく、クリスタル」で話題を呼んだ後、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]「[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]」1982年10月から1985年3月まで金曜日のコーナー「五つの焦点(フォーカス)」に[[レギュラー]]出演したのを皮切りに、[[テレビ朝日]]の女性向け情報番組「[[Oh!エルくらぶ]]」([[1986年]] - [[1992年]]、番組自体は[[1997年]]まで)、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]のワイドショー「[[Beアップル2時!]]」([[1992年]] - [[1993年]])、新党日本の広報番組「[[田中康夫のにっぽんサイコー!]]」([[日本BS放送|BS11]])では[[司会]]も務めた。
 
それ以外にも報道番組への積極的な出演のほか、[[バラエティ番組]]をはじめ、数多くの番組に出演した。また、フジテレビ「[[たけし・逸見の平成教育委員会]]」では生徒(解答者)として出演。「たけし落とし」を完成させ、世界一周海外留学の旅を獲得したこともある。その他[[ビートたけし]]との関係は当該項目を参照のこと。
 
県知事就任以降は、長野県の観光資源を広くPRする事を意識し、トーク番組やバラエティ番組の出演の際には、県の名産品などを積極的に紹介することが多かった。また、長野県内で流れるシートベルト装着のキャンペーンCMにも自ら出演し、呼びかけを行っていた([[SMAP×SMAP]]でのゲスト出演の際など)。
 
2013年現在は[[日本BS放送|BS11]]の「[[田中康夫のにっぽんサイコー!]]」で司会を務めている。
 
=== ラジオ ===
8,637

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