「タラワの戦い」の版間の差分
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| casualties2=戦死1,009<br />戦傷2,296
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'''タラワの戦い'''({{lang-en|Battle of Tarawa}})
==背景==
===連合国側===
[[アリューシャン方面の戦い|アリューシャン]]、[[ソロモン諸島の戦い|ソロモン諸島]]方面で勝利を収めた[[アメリカ
しかし、最終的にアメリカ統合戦略委員会はカートホイール作戦のみでは日本軍に側面から脅かされると判断し、カートホイール作戦の実施と共に中部太平洋を西(日本の方角)に向かって進撃することを決定し、さらに[[8月21日]]から[[8月24日]]の間には[[カナダ]]の[[ケベック・シティー|ケベック]]で[[アメリカ合衆国]]、[[イギリス]]、[[カナダ]]、[[フランス]]の四箇国が会談し、中部太平洋への侵攻作戦の具体案を決定した。そして、その攻撃の最初の矛先となったのはギルバート諸島のマキン、タラワ、アベママの三島であった。
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計約4800名
===
**中部太平洋部隊:第5艦隊([[レイモンド・スプルーアンス]] 中将)
***第54任務部隊(進攻軍 [[リッチモンド・K・ターナー]] 少将)
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==戦闘経過==
===上陸前===
[[1943年]][[11月10日]]、[[レイモンド・スプルーアンス]]中将指揮のマキン・タラワ侵攻部隊は[[ハワイ]]の[[真珠湾]]を出撃した。[[11月19日]]にタラワとマキンへ同時に事前攻撃が始まり、これより3日間、タラワは
===11月21日===
[[11月21日]]午前4時、タラワ環礁の外側にいた
これに対し、
この後、
そして駆逐艦の掩護を受けながら、再び
上陸地点の450m手前には[[サンゴ礁|リーフ]]があった。そのリーフに第1波の上陸部隊が近づいた時、日本軍守備隊は砲撃を開始し
第4波以降の上陸部隊も続々とリーフに辿り着いたが、LVTではなく上陸用舟艇であったため、リーフを乗り越えることができなかった。リーフ上の水深は60cm~90cmしかないのだが、上陸用舟艇は最低でも1.2mの水深がないと動くことができなかったからである。そのため第4波以降の上陸部隊は装備を頭上にかかげ、海岸への徒渉上陸を試みた。しかし、リーフの先から海岸までの450mは再び深い海であり、重い装備のため海に沈む者が続出した。更に、そこへ日本軍守備隊が海岸から機銃で攻撃を加えたため、海岸にたどりつけた者はほとんどいなかった。わずかに海岸にたどり着いた者は奥行き60m程度しかない砂浜の陸地側にある、高さ1.2mの防壁の側に身を潜めた。すでにこの時点で上陸した
上陸部隊の苦境を見た攻撃隊指揮官の{{仮リンク|デビット・シャウプ|en|David M. Shoup}}大佐は連隊予備の前線参加を命じ、さらなる艦砲射撃と航空支援を要請した。要請に基づき、島は再び砲爆撃を受けた。この時の砲爆撃に際して、
一方、二度目の艦砲射撃により日本軍の死傷者は急増していた。これを見た柴崎少将は戦闘司令所を負傷者の治療所に提供し、自らは[[参謀]]や司令部要員を連れて外海側の防空壕に移った。しかし、その防空壕に直撃弾が命中し、柴崎少将は[[戦死]]した。
司令官を失った日本軍であったが、兵たちの士気は衰えることなく、守備隊はトーチカなどの陣地にこもって抵抗した。これに対し
===11月22日===
[[ファイル:Pacific war US Propaganda Leaflet "Where is the Imperial Navy?"(Back).jpg|thumb|210px|日本軍の士気を下げるために
翌[[11月22日]]午前6時、
続いて小型爆弾を抱えたF6F戦闘機が3機来襲した。「斉田丸」に対し1番機、2番機は至近弾を与え、3番機は直撃弾を与えたが、「斉田丸」の機銃陣地は無傷であった。この後もさらに「斉田丸」に対する攻撃は続けられ、今度は12機のF6F戦闘機が来襲した。12機の戦闘機は次々に爆弾を投下するものの「斉田丸」に直撃弾を与えられず、ようやく1発だけ命中した。だが、それでも「斉田丸」の機銃陣地は無傷であった。
これを見た
「斉田丸」を制圧した後、午後3時に
===11月23日===
翌[[11月23日]]、
そして、この日の夜、日本軍の残存守備隊約110名は最後の突撃を敢行した。突入は3回にわたって行われ、1,2回目は2,30名、3回目の突入は50名で行われた。だが、いずれも同一地点を攻撃したため、
この戦闘により、タラワの戦いは終結したのであった。
===日本軍の救援作戦===
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まず[[連合艦隊]]は、上陸のあった21日に、[[ポンペイ島]]にいた陸軍[[海上機動旅団#甲支隊について|甲支隊]]の派遣を決めた。軽巡3隻、駆逐艦2隻、輸送船2隻からなる輸送部隊と、重巡4隻、駆逐艦6隻からなる邀撃部隊を編成し、26日までに[[マーシャル諸島]]の[[クェゼリン]]に進出させた。しかし、タラワからの通信が22日の午前中から途絶し続けたために、甲支隊の派遣は中止された。
つぎに連合艦隊は[[潜水艦]]9隻をギルバート海域に進出させ、
また、マーシャル諸島の[[クェゼリン環礁|ルオット]]から出撃した海軍航空隊による反撃も行われた。21日にはギルバート沖のアメリカ機動部隊を目標とした[[ギルバート諸島沖航空戦]]が展開され、軽空母[[インディペンデンス (CVL-22)|インディペンデンス]](USS Independence, CV/CVL-22)を大破させた。22日には[[一式陸上攻撃機|陸攻]]9機、[[戦闘機]]39機が発進したが、天候不良のため途中で引き返した。この攻撃隊は陸攻の[[魚雷]]を[[爆弾]]に積み替えて、タラワ上陸部隊の昼間攻撃に再び発進したが、これも天候不良のため途中で引き返すこととなった。
22日の夜にルオットを発進した陸攻4機は深夜、タラワ上空に到着した。陸攻は
==両軍の損害==
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***内地出身軍属 14名
***朝鮮出身軍属 129名
*
**戦死者 1009名
**戦傷者 2296名
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* ドキュメンタリー 激戦タラワ~日米将兵の再会([[ヒストリーチャンネル]])
* 偵察写真が語る第二次世界大戦(ヒストリーチャンネル)
*「[[:en:With the Marines at Tarawa|With the Marines at Tarawa]]」 -
=== ゲーム ===
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