「日光駅」の版間の差分

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[[東北本線]]などを建設した私鉄であった[[日本鉄道]]が、その支線の終着駅として1890年(明治23年)8月1日に開設した。開業式は日光駅において、[[小松宮彰仁親王]]の臨席を仰いで挙行された。当時から[[日光東照宮]]や[[中禅寺湖]]など景観の美しい日光は日本有数の観光地で、皇族や外国人観光客なども多く訪れる駅であった。1906年(明治39年)11月1日に日本鉄道が[[鉄道国有法|国有化]]されて国有鉄道の駅となり、1909年(明治42年)10月12日に[[鉄道路線の名称|線路名称]]が制定されて日光駅の所属する路線は日光線と名付けられた<ref name = "asahi">{{Cite book | 和書 | title = 週刊JR全駅・全車両基地 No.05 上野駅 日光駅 下館駅ほか92駅 | publisher = 朝日新聞出版 | date = 2012-09-09 | pages = 12 - 13}}</ref>。初代の駅は質素な平屋建てであった<ref name = "毎日20121219">{{Cite web | url = http://mainichi.jp/select/news/20121214mog00m040065000c.html | title = JR日光駅:駅舎の設計者が判明 追跡10年、郷土史家が近く発表 | date = 2012-12-14 | publisher = 毎日jp | accessdate = 2012-12-19}}</ref>。
 
[[1912年]](大正元年)8)[[825日]]に、現在の2代目駅舎が落成した。[[ネオ・ルネサンス様式]]の木造洋風建築2階建てで、長らく設計者は不明であったが、2012年に地元の郷土史家の研究で、当時の鉄道院技手の[[明石虎雄]]が設計したものにほぼ間違いないと判明した<ref name = "毎日20121219" />。
 
1929年(昭和4年)には[[東武鉄道]]が[[東武日光駅]]まで開通して国鉄と東武の競争が始まった。1959年(昭和34年)9月22日には日光線の[[鉄道の電化|電化]]が完成し、デラックスな[[国鉄157系電車|157系]]を使用した準急「日光」の運転を開始して東武鉄道に対抗したが、運賃・所要時間ともに東武鉄道の方が勝り、1982年(昭和57年)に上野から直通する列車が全廃となり、当駅に優等列車の発着は無くなった。2006年(平成18年)からJR東日本は東武鉄道と直通しての優等列車の日光乗り入れを再開し、以後は東武日光駅にJRからの直通優等列車も発着している状況にある<ref name = "asahi" />。シーズン時に運転されるJR線首都圏各方面からの臨時特急列車も現在は全て[[栗橋駅]]から[[東武日光線]]に乗り入れた上で東武日光駅発着となっており、当駅に発着する定期列車は[[宇都宮駅]]との間を走る短距離普通列車のみであるが、秋などの[[修学旅行]]シーズンに運転される東京都、神奈川県、埼玉県などからの[[修学旅行列車]]は当駅に発着しており、現在当駅に発着する数少ない中距離運用列車となっている。