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'''1954年の日本シリーズ'''(1954ねんのにっぽんシリーズ、1954ねんのにほんシリーズ)は、[[1954年]][[10月30日]]から[[11月7日]]まで行われた[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]優勝チームの[[中日ドラゴンズ]]と[[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]優勝チームの[[埼玉西武ライオンズ|西鉄ライオンズ]]による第5回[[日本プロ野球|プロ野球]][[日本選手権シリーズ]]である。[[ナゴヤ球場|中日球場]]と[[平和台野球場|平和台球場]]で行われた。
<!--出典なし--><!--
中日と西鉄の両チームの初対決は、共に[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]、[[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]結成5年目で初のリーグ優勝を果たしたチーム同士の対決で、中日が4勝3敗で勝利し初の日本一に輝いた。特に優勝の原動力となったのは、シーズン32勝を挙げMVP、[[沢村栄治賞|沢村賞]]に輝いた『フォークの元祖』と呼ばれた[[杉下茂]]。シリーズでも5試合に登板、うち4試合に完投(シリーズ記録、現在もタイ記録)の活躍で、2試合連続無得点など不振に苦しむ中日打線をカバーした。三原監督は敗戦の弁で「'''杉下ひとりと勝負したシリーズだった'''」と語った{{要出典|date=2015年3月}}。
天知監督は3年ぶりに中日の監督に復帰した事と高校野球で中京商(現・[[中京大学附属中京高等学校|中京大中京高校]])が全国制覇を果たした事も話題があったことから、名古屋の街は熱狂にあふれ、日本シリーズで初優勝した事もファンは熱狂した。このシリーズ終了後、天知監督は退任するが昭和時代の日本プロ野球史では「日本一決定後に監督を退任」した唯一の監督である(平成になってからは、2014年に[[福岡ソフトバンクホークス|ソフトバンク]]監督・[[秋山幸二]]が達成)。なお、リーグ優勝は[[1960年の日本シリーズ|1960年]],[[1978年の日本シリーズ|1978年]],[[1983年の日本シリーズ|1983年]],[[1985年の日本シリーズ|1985年]],[[1994年の日本シリーズ|1994年]],[[2003年の日本シリーズ|2003年]],[[2011年の日本シリーズ|2011年]]等と複数回ある。
なお、この年から最高殊勲賞に輝いた選手に[[トヨタ自動車|トヨタ自動車工業]](ただし、[[広島東洋カープ]]優勝時はスポンサーの都合上[[マツダ]])協賛により記念品として[[高級乗用車]]が贈呈されるが、杉下はその獲得第1号となった。なお、次の日本一を達成した2007年から最高殊勲選手賞への高級乗用車の贈呈は廃止され
== 試合結果 ==
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[審判]セ[[筒井修|筒井]](球)パ横沢、セ津田、パ[[苅田久徳|苅田]](塁)セ[[円城寺満|円城寺]]、パ長谷川(外)
中日[[杉下茂]]、西鉄[[西村貞朗]]の先発で開幕。中日が1回、[[杉山悟]]の[[適時打
=== 第2戦 ===
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[審判]パ[[二出川延明|二出川]](球)セ国友、パ横沢、セ円城寺(塁)パ長谷川、セ津田(外)
中日・[[石川克彦]]、西鉄・[[大津守]]の両先発が4回まで無得点に抑えていたが、5回裏、中日は
=== 第3戦 ===
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[審判]セ筒井(球)パ横沢、セ国友、パ苅田(塁)セ円城寺、パ長谷川(外)
平和台球場に舞台を移した第3戦、西鉄は[[河村英文]]、中日は[[大島信雄]]の先発。西鉄は初回、
=== 第4戦 ===
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[審判]パ二出川(球)セ津田、パ苅田、セ円城寺(塁)パ長谷川、セ国友(外)
=== 第5戦 ===
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[審判]セ筒井(球)パ苅田、セ円城寺、パ横沢(塁)セ津田、パ長谷川(外)
中日は前日発表のメンバーを入れ替え、杉下を連続先発させた。短い[[イニング]]で降板したならともかく前日完投している杉下の連続先発は当時でも奇策と言えたが、杉下は起用に応える力投。試合は中日が[[本多逸郎]]の二塁打と足技で先取点。西鉄は2回裏豊田の
=== 第6戦 ===
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[審判]パ二出川(球)セ国友、パ横沢、セ津田(塁)パ長谷川、セ円城寺(外)
3回、中日が本多のタイムリー二塁打で先制。中日先発の石川克は5回まで無失点だったが、6回、西鉄は
=== 第7戦 ===
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[審判]セ筒井(球)パ横沢、セ津田、パ苅田(塁)セ国友、パ長谷川(外)
中日は杉下が5試合目の登板(先発は4度目)。西鉄・河村とともに息詰まる投手戦を繰り広げ、
最終打者は[[塚本悦郎]]。三ゴロだった。
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