「クオリア」の版間の差分

タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
1966年。第3版:{{lang|en|Boston: Reidel}}、1977年.</ref>。
 
1974年、主観性の問題に関する有名な論文が現れる。アメリカの哲学者[[トマス・ネーゲル]]が提示した「[[コウモリであるとはどのようなことか]]」という[[思考実験]]において<ref name="bat_en"/><ref name="bat_ja"/>、物理主義は意識的な体験の具体的な表れについて、完全に論じ切れていない、という主張が強く訴えられた。1982年にはオーストラリアの哲学者[[フランク・ジャクソン]]が、[[マリーの部屋]]という思考実験を提唱し、普通の科学的知識の中にはクオリアの問題は還元しきれないのではないか、という疑念が提唱された<ref>フランク・ジャクソン (1982年) 「{{lang|en|Epiphenomenal Qualia}}」, {{lang|en|''Philosophical Quarterly''}}誌, vol. 32, 127-36ページ. [http://members.aol.com/NeoNoetics/Mary.html オンライン・テキスト]</ref>。また1983年にはアメリカの哲学者ジョセフ・レヴァインが、脳についての神経科学的な説明と、私たちの持つ主観的な意識的体験の間には、ギャップがある、という説明のギャップの議論を展開する。こうしたネーゲル、ジャクソンの論文が登場しはじめた1970年代後半あたりから、徐々に科学や物理学との関連の中でクオリアの議論が展開されることが多くなった。
 
こうした流れの中で最も強い反響を得たのは、オーストラリアの哲学者[[デイヴィッド・チャーマーズ]]の主張である。1995年から1997年にかけてチャーマーズは一連の著作<ref name="Hard"/><ref> デイビッド・チャーマーズ(著)、[[林一]](訳)『意識する心-脳と精神の根本理論を求めて』白揚社 (2001年) ISBN 4-8269-0106-2(翻訳元 「{{lang|en|The Conscious Mind: In Search of a Fundamental Theory}}」(1996年). {{lang|en|Oxford University Press}}。ハードカバー版:ISBN 0-19-511789-1、文庫本版:ISBN 0-19-510553-2</ref>を通じて、現在の物理学とクオリアとの関係について、[[ハードプロブレム]]、[[哲学的ゾンビ]]といった言葉を用いて非常に強い立場での議論を展開する。今までの哲学者の議論がどちらかというと控えめな形での[[物理主義]]批判であったのに対し、チャーマーズは「クオリアは自然界の基本的な要素の一つであり、クオリアを現在の物理学の中に還元することは不可能である。意識の問題を解決するにはクオリアに関する新しい[[自然法則]]の探求が必要である。」という強い立場を前面に押し出す。このチャーマーズの立場は岩石やサーモスタットにさえ意識体験があるとする[[汎心論]]を含むほど強い立場であり、古典的なデカルト的[[実体二元論]]の復活だ、といった誤解による批判も含めて強い反論があった。こうした強い反応が出た背景には脳科学・神経科学が大きい注目を浴び始めていた時代的タイミングがあった。何にせよ、この議論は大きな反応を呼び、今まで一部の哲学者の間だけで議論されていたクオリアの問題が広い範囲の人々、哲学者のみならず、神経科学者や、エンジニア、理論物理学者などへ知れ渡る一つのきっかけとなる。