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'''小笠原 長高'''(おがさわら ながたか、[[1487年]] - [[1544年]][[10月20日]]([[天文 (元号)|天文]]13年[[10月4日 (旧暦)|10月4日]]))は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の武将。[[小笠原貞朝]]の長男。別名は豊松丸、彦五郎。官位は 右馬助、左京大夫。高天神小笠原氏の祖とされる。
 
父の貞朝は、先妻の[[武田氏]]との間に生まれた長男の長高を廃嫡し、後妻の[[海野氏]]との間に生まれた次男の[[小笠原長棟|長棟]]を偏愛し、後継者とした。廃嫡された長高は[[尾張国|尾張]][[知多郡]]に出奔して、後に[[三河国|三河]][[幡豆郡]]に移り、[[吉良義堯]]、ついで[[今川氏親]]に仕官する。[[遠江国]]浅羽荘を領し、馬伏塚城に住する。享年57。法名は浄願。妻は[[吉良義元]]の娘。長男の[[小笠原春義]]が家督を継いだ
 
== 参考 ==