「バージニア・ウェード」の版間の差分

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[[1972年]]の[[1972年全豪オープン|全豪オープン]]で、ウェードは4年ぶりとなる4大大会2勝目を挙げ、地元[[オーストラリア]]の新進選手だった[[イボンヌ・グーラゴング]]を 6-4, 6-4 のストレートで下した。
 
[[1973年]]、バージニア・ウェードは女子ダブルスで[[マーガレット・スミス・コート|マーガレット・コート]]とペアを組み、[[1973年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]を除く4大大会女子ダブルス年間3冠を獲得した。ウェードとコートは、[[1975年全米オープン (テニス)|1975年全米オープン]]で2年ぶり2度目の女子ダブルスがある。(コート夫人はこの大会を最後に競技生活から引退した。)すべてコート夫人との組み合わせで、ウェードはグランドスラム大会の女子ダブルスに4勝を挙げた。
 
ウェードのテニス人生最大のハイライトは、[[1977年]]の[[1977年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]選手権大会である。準決勝で大会前年優勝者の[[クリス・エバート]]を 6-2, 4-6, 6-1 で破ったウェードは、決勝で[[ベティ・ストーブ]]([[オランダ]])と対戦することになった。決勝戦のセンター・コートは1万4000人の満員の観客で埋め尽くされ、この年に即位25周年を迎えたイギリス女王[[エリザベス2世 (イギリス女王)|エリザベス2世]]の見守る中、ウェードはストーブに 4-6, 6-3, 6-1逆転勝利を収め、自身17度目の挑戦でウィンブルドン選手権に初優勝を果たした。これはウェード自身にとっても、32歳の誕生日の9日前に達成した記念碑的な偉業であった。
 
[[1986年]]に41歳で現役を引退。[[1989年]]に[[国際テニス殿堂]]入りを果たしている。
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