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== 来歴 ==
[[東京都]][[豊島区]]生まれ。私立[[学園学校・高等学校]]を経て、[[一橋大学]]法学部に入学。大学在学中の1971年「[[馬酔木 (雑誌)|馬酔木]]」に投句し、1973年「[[沖 (雑誌)|沖]]」に入会、[[能村登四郎]]に師事。1974年に大学卒業した後は[[科学技術庁]]に入庁、官僚として勤めながら俳人、俳句評論家として活動する(職歴参照)。1990年「[[豈]]」に入会、1991年より同誌編集人、2001年より同発行人を務める。
 
諧謔味の強い句風で、第一句集『野干』は「女狐に賜る位・扇かな」「みちのくに戀ゆゑ細る瀧もがな」といった、王朝文学の世界を素材とした擬古典的な句を収め、第二句集『婆伽梵』では同じ路線で万葉時代から昭和戦中期までの世界を表現している。これらは師の登四郎からよりもむしろ[[攝津幸彦]]、[[加藤郁乎]]といった前衛派の俳人から評価された。『筑紫磐井集』に書き下ろすかたちで発表された第三句集『花鳥諷詠』中には「もりソバのおつゆが足りぬ高濱家」「俳諧はほとんどことばすこし虚子」など近代俳句史をパロディ化したような一連の句を収めている。以上の句集と未発表作をおさめた『筑紫磐井集』で2004年[[加美俳句大賞]]スウェーデン賞を受賞。2014年の『わが時代』では、[[団塊の世代]]と呼ばれた自身の世代感覚を作品化した一連の句を収めた。