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'''力への意志'''(ちからへのいし、英:Will to Power、独:Wille zur Macht)は、ドイツの哲学者[[フリードリヒ・ニーチェ]]の後期著作に登場する、突出した哲学的概念のひとつである。
 
'''力への意志'''(ちからへのいし、英:Will to Power、独:Wille zur Macht)は、ドイツの哲学者[[フリードリヒ・ニーチェ]]の後期著作に登場する、突出した哲学的概念のひとつである。力への意志は、ニーチェの考えによれば人間を動かす根源的な動機である: 達成、野心、「生きている間に、できるかぎり最も良い所へ昇りつめよう」とする努力、これらはすべて力への意思の表れである。本人の著作では、「我がものとし、支配し、より以上のものとなり、より強いものとなろうとする意欲」<ref>ニーチェ著、原佑訳 『権力への意志』下巻、筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、1993年、p.216。</ref>と表現される[[思想]]である。ニーチェの著作と言われる『権力への意志』は、ニーチェの死後に遺稿を元に妹の[[エリーザベト・フェルスター=ニーチェ|エリーザベト]]が編集出版したものである。
 
直接の影響を受けたのは[[アルフレッド・アドラー]]である。[[アドラー心理学]]には力への意思の概念が反映されている。
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そこでニーチェは、「賢者」たちが全ての物事を思考可能なものにしようとする「真理への意志」の正体が、一切を精神に服従させようとする「力への意志」であると批判している<ref>ニーチェ著、氷上英廣訳 『ツァラトゥストラはこう言った』上巻、岩波書店〈岩波文庫〉、1967年、pp.193-194。</ref>。すなわち、力への意志は[[ルサンチマン]]と当初密接な関係があり、否定的なものとして記されていた。しかしやがてニーチェは力への意志を肯定的な概念としてとらえ直す。あえて積極的にニヒリズムを肯定し、ニヒリズムを克服することが力への意志となり得るのである。
 
力への意志は'''権力への意志'''と訳されることもあるが、力への意志の「力」は、人間が他者を支配するためのいわゆる権力のみを指すのではない。また「意志」は、個人の中に主体的に起きる感情のみを指すのではない<ref>貫成人 『真理の哲学』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2008年、第1章§2。</ref>。力への意志は自然現象を含めたあらゆる物事のなかでせめぎあっている<ref>貫成人 『[[図解雑学シリーズ|図解雑学]] 哲学』 [[ナツメ社]]、2004年、p.134。</ref>。力への意志の拮抗が、あらゆる物事の形、配置、運動を決めている。つまり、真理は不変の[[ロゴス]]として存在するものではなく、力への意志によりその都度産み出されていくものなのである。この思想は[[ジル・ドゥルーズ]]の差異の哲学に受け継がれた<ref>『わかりたいあなたのための現代思想・入門』 別冊宝島44、宝島社、1984年、pp.22-23。</ref>。
 
また[[永井均]]はこの概念を指して、「力への意志」というよりは「力=意志説」と呼んだほうが良いと書いている。<ref>永井均『ルサンチマンの哲学 (シリーズ 道徳の系譜)』河出書房新社、1997年、p.142</ref>