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'''エトルリア王国'''(エトルリアおうこく、[[イタリア語|伊]]:Regno d'Etruria)は、[[19世紀]]初頭の[[イタリア]]に存在した[[王国]]である。
 
[[1801年]][[2月9日]]に締結された[[リュネヴィルの和約]]を受けて、[[トスカーナ大公国]]は[[フランス]]の手に渡り廃止された。同年[[3月21日]]に[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]による[[傀儡国家]]としてエトルリア王国が成立した。[[エトルリア]]とは、トスカーナの古名である。王位には[[ブルボン=パルマ家]]の[[ルドヴィーコ1世・ディ・ボルボーネ|ルドヴィーコ1世]](Ludovico I, [[1773年]] - [[1803年]], 在位:1801年 - 1803年)がついた。ルドヴィーコが死ぬと、息子のルドヴィーコ2世こと[[カルロ・ルドヴィーコ・ディ・ボルボーネ|カルロ2世ルドヴィーコ]](Carlo II Ludovico, [[1799年]] - [[1883年]], 在位:1803年 - [[1807年]])が継承した。1807年に崩壊し、[[フォンテーヌブロー条約_(1807年)|フォンテーヌブロー条約]]によりフランス帝国に併合された。その2年後には[[ハプスブルク=ロートリンゲン家|トスカーナ・ハプスブルク家]]の[[フェルディナンド3世 (トスカーナ大公)|フェルディナンド3世]]が[[フィレンツェ]]に戻り、トスカーナ大公となった。
 
== 関連項目 ==