「ニスタット条約」の版間の差分
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この条約によってバルト海の覇権を失ったスウェーデンでは、大北方戦争中に[[カール12世 (スウェーデン王)|カール12世]]が戦死していたこととあわせ、国王の権威を低下させた。そのため[[王権]]の制限が進められ、[[絶対王政]]下における大国主義から、いわゆる「[[自由の時代]]({{Lang-sv|Frihetstiden}})」へと移行することになった。一方で、新たにバルト海の覇権を握ったロシアは、ヨーロッパ政治における存在感を強めた。ヨーロッパの主要国はロシアに外交官を常駐させるようになり、国際政治において対ロシア関係を無視することができなくなった。国内でも[[ピョートル1世]]がその威信を強め、ロシアの「[[元老院]]」から「[[皇帝]]」「[[大帝]]」などの称号を受けることになった。
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* {{Cite book |和書 |editor=[[百瀬宏]]、[[熊野聰]]、村井誠人編 |title=北欧史 |edition=新版 |date=1998-08 |publisher=[[山川出版社]] |series=新版世界各国史 21 |isbn=978-4-634-41510-2}}
*[[ストックホルム条約]](1720年)▼
* {{Cite book |和書 |editor=[[和田春樹]]編 |title=ロシア史 |edition=新版 |date=2002-02 |publisher=[[山川出版社]] |series=新版世界各国史 22 |isbn=978-4-634-41520-1}}
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▲* [[ストックホルム条約]](1720年)
== 外部リンク ==
* 条約全文
** [http://ru.wikisource.org/wiki/Ништадтский_мирный_договор ロシア語正文](ウィキソース)
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