「三国協商」の版間の差分

m (ボット: 言語間リンク 44 件をウィキデータ上の d:q177859 に転記)
当時の国際関係は[[ドイツ帝国|ドイツ]]の[[オットー・フォン・ビスマルク|ビスマルク]]によって形作られていたいわゆる[[ビスマルク体制]]、すなわちフランスの国際関係における孤立作戦が行われ、一時的に[[ヨーロッパ]]では戦争の無い小康状態が作られていた。
 
しかしドイツに[[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]が即位するとビスマルクはこの[[皇帝]]と衝突し、[[1890年]]に退陣する。ビスマルクのくびきを離れたヴィルヘルム2世は既にビスマルクによって形成されていた[[三国同盟 (1882年)|三国同盟]]をビスマルクの思惑とは異なる方向に利用して[[オーストリア=ハンガリー帝国]]や[[イタリア]]と接近し、当時の[[植民地]]の過半を所有していたイギリス・フランスから植民地のパイを奪い取ろとうと画策した。またこれもビスマルクによって調印された[[独露再保障条約]]の更新を拒否する。
 
== 三国協商の成立 ==
匿名利用者