「セイイェド・アリー・モハンマド」の版間の差分

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'''セイイェド・アリー=モハンマド'''([[ペルシア語]]:سید علی محمد,[[アラビア語]]:سيد علي محمد,[[トルコ語]]:Seyyid Ali Muhammed、[[1819年]][[10月20日]] - [[1850年]][[7月9日]])は、[[イスラーム教]][[シーア派]][[十二イマーム派]]の宗教改革者、後に[[バーブ教]]の開祖、[[預言者]]となる。バーブ教を引き継いだ[[バハーイー教]]でも預言者、開祖[[ミールザー・ホセイン=アリー|ホセイン=アリー]]の師として崇敬されている。
 
[[画像:Shrine Bab North West.jpg|200px|thumb|[[ハイファ]]にあるバーブの聖廟]]
アリー=モハンマドは預言者ムハンマドの家系に生まれた。彼は[[1844年]][[5月23日]]に自らは十二イマーム派の約束された[[マフディー]]の再来であると宣言し、イスラームの自由主義的改革を訴えて支持を集め始めた。これに対して十二イマーム派の聖職者たちはほとんどが激怒し、バーブを異端者、更には背教者と断罪した。