「佐橋滋」の版間の差分

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=== 消極的評価 ===
[[岸信介]]、[[椎名悦三郎]]の系譜に連なる、'''統制派'''商工官僚の大物として、政府(官僚)主導の経済操縦を試み、企業の自主性を抑圧するものとして、パターナリズムの強い政策観であるとの評価がある。追いつくべきモデルとしての欧米先進国が存在した1960年代前半まではともかく、日本の高度成長にともない、佐橋が事務次官に上り詰めるのと同時進行的にその政策の有効性は乏しくなっていたと言えよう。[[本田宗一郎]]が二輪車から四輪車への進出を巡り、さらに[[日向方齊]]らが、業界統制を行おうとする佐橋に面と向かって抵抗し([[日向方齊#住金事件|住金事件]]参照)、結果としては[[本田技研工業]]等の成功があることがそれを物語っている。
 
また、面倒見がよい一方で、仕事に全力を尽くそうとしない者など自分の気に入らない者を冷遇するなどしたため、その後の通産省の派閥闘争の原因となったとの説がある。さらに退官後の政財界からの引退についても佐橋の意思ではなく、OB等による、社会的影響力の少ないポストへの「押し込め」であるとの説もある。