「週刊TVガイド」の版間の差分

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== 週刊版 ==
=== 歴史発行部数 ===
{{複数の問題|section = 1|出典の明記 = 2014年7月|独自研究 = 2014年7月}}
==== 創刊時から1970年代までの独占時代 ====
米国で発行されている『{{仮リンク|TVガイド (アメリカ合衆国)|en|TV Guide|label=TV GUIDE}}』誌の日本版を目指し、[[1962年]][[8月3日]]創刊。[[日本放送協会|NHK]]の元[[アナウンサー]]でテレビ界初の[[フリーアナウンサー]]・[[高橋圭三]]の[[タキシード]]姿を表紙に据えて価格30円で発売された。ロゴも本家米国版にならい、ブラウン管を模した丸みを帯びた赤色の長方形に「TVガイド」の文字が入ったものが採用された。当然、テレビ情報誌としては日本初のものとなった。しかし当時は一般家庭にようやくテレビが普及し始めた頃で、世の中への認知には時間が掛かったようである。1964年[[前東京オリンピック|東京オリンピック]]を経て、[[カラーテレビ]]が普及するのと歩調を合わせるようにようやく普及し始める。
 
テレビ情報以外にも昭和40年代までは芸能ゴシップ情報を扱い、表紙にも「[[西城秀樹]]ファンの脅迫で[[浅田美代子]]が[[ノイローゼ]]」([[1974年]][[2月1日]]号)などとエキセントリックな文句が飾っている。そんな余暇的なものを含んではいても、『週刊TVガイド』は他社の追随を許さなかった。この間にもいろいろなテレビ情報誌は生まれはしたが、週刊というスピードのなかで正確かつ充実した誌面作りに耐えられず肝心な番組表はおろかドラマの詳細なあらすじさえも載せられない場合もあり、読者の支持を得られずに短命で終わるものが多かった。[[1974年]]には東京ポスト社から『週刊テレビ番組』が刊行され(現在は廃刊)いよいよライバルらしいライバルが現れるが、この頃になると既に『週刊TVガイド』は確固たる地位を築いていた。
 
創刊時は関東版のみだったのが[[1971年]]には特集グラフや解説記事はほぼそのままに番組表を関西地域に合わせた関西版発行に漕ぎ着け、それからも全国各地区版を続々と発行するようになり全国誌に成長。そして、それはテレビ情報誌の代名詞的存在になったことを意味した。
 
==== ライバルが現れる1980年代 ====
[[1982年]]には通算1,000号を突破し創刊20周年を迎えたが、この年はかつてない強力なライバルが現れる。[[角川書店]]から発行された『[[ザテレビジョン]]』である。
 
『ザテレビジョン』は上質紙を使ったカラーグラビアの多用と直接購買層の10代から30歳代までに絞った誌面、そして系列だからこそ出来た[[角川映画]]の独占的な特集で瞬く間にテレビ情報誌としての人気雑誌となった。
 
一方、『週刊TVガイド』は老舗ゆえの負の面が現れた。幼児からお年寄りまでテレビを観る人すべてに合わせた誌面作りは、『ザテレビジョン』の出現により先述した直接購買層のギャップを産んで購入意志が離れていった。『ザテレビジョン』は大判のため番組表が見開き2ページでその日のテレビ番組が容易に把握できるのに対し、『週刊TVガイド』は小さい判型のため1日の番組が見開きに収まらず4ページに渡っており視認性の悪さが露呈してしまった。少年漫画誌などでよく見受ける質の悪いザラ紙を多用しているのも、みすぼらしく見えた。このため、『週刊TVガイド』はテレビ情報誌の代名詞とは必ずしも言えない存在になってしまった。
 
==== 二大テレビ誌抗争の1990年代 ====
後発の『ザテレビジョン』は急速に部数を延ばし、やがて『週刊TVガイド』の部数を越える。本家としてのプライドを傷つけられた格好の『週刊TVガイド』は[[1990年代]]末に対抗策として、それまでのA5判から『ザテレビジョン』と同等のAB判へモデルチェンジを行った。
 
それまで核となる番組表ページは創刊当初は午前中(放送開始-正午まで)、昼(12時 - 18時まで)、夜1(18時 - 21時まで)、夜2(21時 - 放送終了まで)の4分割だった。その後17時から18時までと夜1、夜2の3分割→17時から18時までと18時から放送終了(17時頃)の2分割までに分けられ印刷も2色になっていた。それを大判化に伴い「超番組表」と称した大型の番組表に改められ、フルカラー化された(のちにフルカラー番組表は『ザテレビジョン』も追随している)。「超番組表」は当初は大判化前と同じく番組表が2分割・4ページになっていたが(その代わり19時から22時の枠は他誌の番組表の2倍以上の行数を費やしていた)、後に他誌と同様に見開き2ページに収まるようになった。
 
対象年齢層も『ザテレビジョン』同様、10代から30歳代の女性層にアピールする誌面作りとなりドラマやアイドルに関する記事が増える。とりわけジャニーズタレントへの依存は顕著で、表紙(後述)・巻頭記事・連載等紙面を独占する格好となっている。いっぽう、A5判の時より好評であった綴じ込みの「スター名鑑」は継続されている。
 
また、AB判へのモデルチェンジを期にそれまで『ザテレビジョン』よりも手薄だったローカル番組ガイドの強化を図る。関西版や北海道版など限られた地域でしか提供されていなかったローカル番組の情報を全国に拡げることで、地方への浸透を図った。
 
その努力は今でも間断なく続けられているが、洗練されているかどうかという点ではいまだに『ザテレビジョン』に及ばない面もある。一大メディア集団であるカドカワグループに対するディスアドバンテージが存在することは否めない。
 
ライバル雑誌の『TVぴあ』(ぴあ…隔週刊)や『週刊テレビライフ』([[学研ホールディングス|学習研究社]]…週刊だったが[[1994年]]から隔週刊)なども徐々に地方版を増やし全国進出を狙っており、テレビ情報誌の戦国時代はまだまだ続くとみられる。
 
[[2002年]]に創刊40周年を迎えた。長らくイメージキャラとしてCMに出演していた[[タモリ]]がインチキ外国語を駆使して「各国が創刊40周年を祝っている」という設定のCMが放送された。
 
==== 発行部数 ====
前述のとおり週刊版の部数は長らく『ザテレビジョン』の後塵を拝していたが、2011年度(2010年10月から2011年9月まで)の印刷証明付平均部数はTVガイドが411,192部、ザテレビジョンが405,501部と逆転した<ref>[http://www.j-magazine.or.jp/data_001/commonness_2.html#002 JMPAマガジンデータ] [[日本雑誌協会]]</ref>。しかし、2010年度のTVガイドは447,998部で2006年度の637,173部より20万分程減少しており、[[出版不況]]や[[テレビ離れ]]による部数減少傾向は依然として厳しい。
 
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=== 表紙について ===
* 架空のキャラクターが表紙を飾ったことがある。架空のキャラクターの表紙はアニメキャラクターとしては[[1963年]][[6月7日]]号の[[鉄腕アトム|アトム]]が、人形劇(着ぐるみ劇)キャラクターとしては[[1965年]][[5月7日]]号の[[ブーフーウー]]が、特撮ヒーローのキャラクターとしては[[1967年]][[1月27日]]号の[[ウルトラマン]]と[[マグマ大使]]がそれぞれ第一号である。また[[1977年]][[12月9日]]号では[[蒸気機関車]]が、[[1978年]][[2月24日]]号では[[恐竜]](のイラスト)が表紙を飾ったことがある。
* また[[1977年]][[12月9日]]号では[[蒸気機関車]]が、[[1978年]][[2月24日]]号では[[恐竜]](のイラスト)が表紙を飾ったことがある。
* 近年は[[ジャニーズ事務所]]のタレント(デビュー組、Jr.のメンバー)が表紙をほぼ独占しており、ジャニーズ事務所所属でないタレントが表紙を飾る回を数える方が早い。
* 年末年始「お正月特大号」の表紙は、その年の紅白歌合戦の司会者が飾っていたが、1995年 - 2010年はSMAPが表紙を飾っていた。2001年の時はSMAPの稲垣吾郎が芸能活動休止中だった為、SMAPの表紙は無いと思われていたが、稲垣を除く4人で表紙を飾った。2011年は[[嵐 (グループ)|嵐]]が表紙を飾っており、久しぶりに紅白歌合戦(白組)の司会者が表紙となった。
* [[2011年]]·創刊49周年時点でのTVガイド表紙登場回数ランキングは1位 [[SMAP]](46回)、2位 [[KinKi Kids]](44回)、3位 [[木村拓哉]](40回)、4位 [[香取慎吾]](39回)、5位 [[嵐 (グループ)|嵐]](31回)、6位 [[草なぎ剛]](30回)、7位 [[山口百恵]](29回)、8位 [[中居正広]](28回)、9位 [[長瀬智也]](27回)、10位 [[KAT-TUN]](25回)、11位 [[堂本剛]](23回)、11位 [[関ジャニ∞]](23回)、15位 [[滝沢秀明]](20回)、16位 [[堂本光一]](18回)、17位 [[近藤真彦]](17回)、20位 [[稲垣吾郎]](16回)<ref>週刊TVガイド50年プロジェクト·復刻版TVガイド「表紙で振り返るTVガイド50年」2011年9月2日号 </ref>。