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[[1806年]]、[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン1世]]によって神聖ローマ帝国が解体されると、テューリンゲンの諸侯は[[ライン同盟]]に加盟した。[[1815年]]の[[ウィーン会議]]によってそれぞれ独立国として[[ドイツ連邦]]に加盟したが、テューリンゲンにあった国は12と、他の地域と比べて突出して多かった。また[[プロイセン王国]]と[[ヘッセン選帝侯国]]も[[飛び地]]を持っていた。
 
これらの諸国は君主家の断絶などによって徐々に数が減り、[[1871年]]に成立した[[ドイツ帝国]]において「テューリンゲン諸国」{{enlink|Thüringische Staaten||de}}とは、この地にあった[[ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国]]・[[ザクセン=マイニンゲン公国]]・[[ザクセン=アルテンブルク公国]]・[[ザクセン=コーブルク=ゴータ公国]](以上エルンスト系ヴェッティン家)・[[シュヴァルツブルク=ゾンデルダースハウゼン侯国]]・[[シュヴァルツブルク=ルードルシュタット侯国]](以上[[シュヴァルツブルク家]])・[[ロイス侯国 (兄系)|兄系ロイス侯国]]・[[ロイス侯国 (弟系)|弟系ロイス侯国]](以上[[ロイス家]])を指した。
 
[[ドイツ革命]]([[1918年]])によって君主制が倒されると、諸国はそれぞれ[[共和政]]に移行した。[[ヴァイマル共和政]]下の[[1920年]]、ゴータとの[[同君連合]]を解消して[[バイエルン州|バイエルン]]との統合を決めた[[コーブルク]]を除くテューリンゲン諸国が合併して「テューリンゲン州」('''Land Thüringen''')が誕生した。州都は[[ヴァイマル]]に定められた。
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