「沖縄県立首里高等学校」の版間の差分

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[[テレビドラマ]]等では、当校をモチーフとした沖縄有数の進学校、「'''那覇北高校'''」として登場することがあった。
 
[[1958年]](昭和33年)、戦後初めて[[全国高等学校野球選手権大会]]の沖縄代表として出場した。これは第40回の記念大会として特別に当時の日本の46都道府県とともに[[アメリカ合衆国による沖縄統治|アメリカ統治下]]にあった沖縄県の予選大会が開かれ、そこで優勝した当高校が甲子園への出場権を獲得したものである。1回戦で[[福井県]]・[[福井県立敦賀高等学校|敦賀高等学校]]に0-3で敗れたが、試合終了後に拾った甲子園の土が、当時は日本国とは別国家であった琉球政府(事実上は米軍の軍政)の検疫の問題持ち帰れず那覇港で処分されたことが大きく報じられ、それを知った[[日本航空]]の[[客室乗務員|スチュワーデス]]が甲子園球場周辺の海岸の石を拾い集めて寄贈した。現在この石は首里高校の敷地内にある「友愛の碑」というモニュメントに埋め込まれており、戦後沖縄からの初出場の記念として飾られている([[日本の高校野球#甲子園の土|当該項]]参照)。
 
[[2008年]](平成20年)、沖縄県勢初の甲子園出場を50年目記念して小学館発行の漫画雑誌「[[ビッグコミックオリジナル]]」(4月20日号)で「[[ハイサイ!甲子園 〜島人が燃えた1958年〜]]」が連載される。(全9話:8月20日号で完結)