「八色の姓」の版間の差分

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天武天皇の国風[[諡号]](和風諡号、わふうしごう)は、天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)という。「真人」が使われており、八色の姓の筆頭にあげられている。
 
== 姓を賜う ==
*[[682年]](天武11)8月、官人の考選に族姓を重んじる。
*[[683年]](天武12)9月、倭直(やまとのあたい)など38氏に連の姓を授ける。
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[[奈良時代]]から[[平安時代]]に至って、[[源氏|源]]・[[平氏|平]]・[[藤原氏|藤]]・[[橘氏|橘]]の四姓が隆盛になると、その末裔の姓はほとんどが朝臣になってしまい、姓そのものの意味がなくなっていった。ただし、実質的な意味がなくなった後にも「朝臣」の称は残り続け、八色の姓が制定されてから900年以上が過ぎて新設された[[豊臣氏]]についても「豊臣朝臣」とされている。
 
== 関連項目 ==
*[[氏姓制度]]
*[[新撰姓氏録]]
*[[冠位・位階制度の変遷]]
 
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[[Category:日本の爵位|*やくさのかはね]]