「久能山東照宮」の版間の差分
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[[推古天皇]]([[592年|592]]- [[628年]])の頃、[[久能忠仁]]が'''久能寺'''を建立し、[[奈良時代]]の[[行基]]を始め、[[静岡茶]]の始祖といわれる[[円爾]](聖一国師)など、多くの名僧が往来し、隆盛をきわめた。[[永禄]]11年([[1568年]])、[[駿府]]へ進出した[[武田信玄]]は、久能寺を矢部([[清水区|静岡市清水区]])に移し(今の[[鉄舟寺]])、この要害の地に'''久能城'''を築いた。しかし、[[武田氏]]の滅亡と共に[[駿河国|駿河]]は[[徳川家康]]の領有するところとなり、久能城もその支配下に入った。
家康は、[[大御所 (江戸時代)|大御所]]として駿府に在城当時、「久能城は[[駿府城]]の[[本丸]]と思う」と、久能山の重要性を説いたといわれる。死後、その遺骸は[[遺言|遺命]]によって久能山に葬られ、[[元和 (日本)|元和]]3年([[1617年]])には2代将軍・[[徳川秀忠|秀忠]]によって東照社(現・久能山東照宮)の[[神社建築|社殿]]が造営された。家康の[[遺言|遺命]]は久能山への埋葬および[[日光山]]への神社造営であったので、日光山の東照社(現・[[日光東照宮]])もほぼ同時期に造営が始まっている。日光山の東照社は3代将軍・[[徳川家光|家光]]の代になって「[[寛永]]の大造替」と呼ばれる大改築が
なお、[[駿府城#駿府城代|駿府城代]]支配の職である'''久能山総門番'''として代々久能の地を領して久能山東照宮を管理したのは、[[交代寄合]]の[[榊原氏|榊原家]]宗家であった。
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** (附:廟所参道(廟門以内、石鳥居及び石柵付)、銅燈籠2基、手水鉢石1口、棟札10枚)
=== 美術工芸品 ===
; 国宝
*太刀 銘真恒
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* 静岡駅南口から[[しずてつジャストライン小鹿営業所#石田街道線|しずてつジャストライン・石田街道線]] 14系統「久能山下」行き(運賃を通算する直行便の設定は限られている。ただし、途中の東大谷までは石田街道線に加え、静岡駅北口から[[しずてつジャストライン鳥坂営業所#美和大谷線|美和大谷線]]も頻発、東大谷から'''約'''1時間おきに運行される久能山下行きに乗り換え可能。運賃は同停留所で区間ごとの打ち切り計算。石田街道線の久能山下行きダイヤは'''等時隔ではない'''。
* [[清水駅_(静岡県)|清水駅]]前・[[新清水駅|新清水]]から[[しずてつジャストライン西久保営業所#山原(やんばら)梅蔭寺線|しずてつジャストライン・山原梅蔭寺線]] 226・227系統「久能山下」行き(昼間でも2時間ないし3時間程度運行間隔が開く時間帯があるなど、運行本数は少ない)
双方とも終点「久能山下」下車、同バス停との間には
*日本平ロープウェイは設備点検・機器更新等のため、閑散期に期間を予告して運休する場合がある。2012年末も運休が計画されている<ref>http://www.shizutetsu.co.jp/park/topics_392.html</ref>。
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[[Category:静岡県の重要文化財]]
[[Category:静岡県の観光地]]
[[Category:静岡県の博物館]]
[[Category:静岡市の建築物]]
[[Category:駿河区の歴史]]
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[[Category:別表神社]]
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[[Category:日本平]]
[[Category:江戸時代の建築]]
[[Category:駿河国|社くのうさん]]
{{Shinto-stub}}<!--※出典が脚注によって一つも示されていないという点で、スタブ記事です。また、年表の内容もまだまだ足りません。-->
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