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=== 本部移転と国際化 ===
革命政権の崩壊により、イタリアにおけるカルボナリは衰退を始める。教皇ピウス7世が1821年[[9月13日]]、この蜂起を糾弾する声明を発表するなど、圧力も強まりを見せたため、カルボナリは本拠地を[[パリ]]に移した。1821年当時は、フランスにおいてもカルボナリ(シャルボンヌリー)が結成された時期であった。イタリアのカルボナリは、この地においてフランスのシャルボンヌリーと連携。[[ウィーン体制]]の打倒を目指すヨーロッパ各地の自由主義者の支持を集め、国際的にはなおも勢力を拡大したが、彼らの思想に必ずしも同調しているとはいえない[[ルイ・フィリップ (フランス王)|ルイ・フィリップ]](Louis Philippe)や[[ナポレオン3世 (フランス皇帝)|ルイ=ナポレオン・ボナパルト]](Louis-Napoléon Bonaparte)を指導者に加えるに至って、大衆との乖離が進んだ。
 
=== フランス7月革命 ===