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'''殷墟'''(いんきょ)は古代中国[[殷|殷王朝]]後期の首都の遺構<ref>当時[[史記]]項羽本紀)に洹水の南の墟近傍で項羽が章邯と会見したとある。殷朝後期当時の呼称は「大邑商」(商)。</ref>。[[中華人民共和国]][[河南省]][[安陽市]]の市街地西北郊に位置する。<!--河南平野の現在は近代的なビルが林立する安陽市街地に位置している。-->
 
==概要==
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== 殷墟の規模と発掘物 ==
[[ファイル:Tomb Fu Hao YinXu.jpg|thumb|250px|婦好墓]]
現在調査が進んだ殷墟の範囲は東西6km、南北4kmの地域で、[[洹水]]が中央を流れている面積24万平方メートルにわたることが判明している。この地域は殷代の甲骨や青銅器が集中して発掘された場所であり、多くの遺跡と墳墓が発見された。都市の城壁跡が見つからないが<ref>現在の安陽市街地に殷の都が位置したとも考えられる。</ref>、洹水南岸に位置する小屯村北東部が宮殿などが位置する殷都の中心だったと考えられ<ref>現在の安陽市街地に大規模な殷の都があり、宮殿はその中だったとも考えられる。</ref>、周囲からは工房跡なども発掘されている。洹水北岸の武官村一帯には22代王の[[武丁]]以降の王墓が存在し、13の大規模な墳墓が発見されている。そのなかで遺物が発見されていない墳墓は、殷朝最後の王である紂王のものであり、殷朝滅亡により埋葬されなかった墳墓であると推測されている。
 
[[武丁]]の王妃であった[[婦好]]の墳墓は、[[1976年]]にほぼ未盗掘の状態で小屯村北東部で発見され、墳墓からは6匹の[[犬]]のほか、少なくとも16人の殉死者が発掘され、他に[[副葬品]]として440以上の青銅器、約600もの玉石器、石彫類、[[骨角器]]、約7,000枚の当時の貝貨が出土している。