「伊那電気鉄道の電車」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
→‎サ400形: リンク修正
131行目:
1929年に製造された半鋼製で丸屋根を持つ車体長16m級の三等荷物合造付随車である。汽車製造東京支店で3両(サハニフ400 - 402)、日本車輌製造東京支店製の2両(サハニフ403, 404)の計5両が製造された。両者は基本的には同形同大であるが、細部に違いがある。側面窓配置は、1D(荷)4D6D3で、荷物室の荷重は2t、三等室の定員は90人(うち座席48人)で、三等室の扉間にはボックスシートが6組配置されている。自重は25t。
 
国有化後は、伊那松島機関区にあって従来同様後付付随車として使用されたが、1952年6月に運用の合理化のため400と401が荷物室を運転室に転用して制御車化され、記号が「クハ」となっており、翌年の車両形式称号規程改正により'''クハ5900形'''(5900, 5901)に改められた。両車は[[1958年]](昭和33年)2月および3月に、[[プロトタイプ|試作]][[交直流電車|交流直流両用電車]]の電源車(屋根上に[[パンタグラフ]]や高圧[[碍子]]、床下に[[変圧器]]、[[整流器]]搭載)に改造され、[[国鉄72系電車#クモヤ491形→クモハ491形|73034, 73050]]とユニットを組んで<ref>この「M-Tp(pはパンタグラフ)」システムは[[JR西日本]]の[[JR西日本681系電車|681系]]、[[JR西日本683系電車|683系]]、[[JR西日本521系電車|521系]]の交直流電車で採用されている</ref>、作並機関区に転属、[[仙山線]]での[[交流電化]]の試験に供された。1959年の車両形式称号規程改正で'''クヤ490形'''(1, 11)に改番され、さらに1960年には営業用にも使用されることとなって、'''クハ490形'''(番号同じ)に改称された。廃車は[[1966年]](昭和41年)2月である。
 
付随車のまま残っていた3両(402 - 404)は、1952年に[[仙石線]]に転出し、1953年の車両形式称号規程改正で'''サハニ7900形'''(7900 - 7902)に改められたが1957年2月に廃車され、うち7901と7902は翌年、[[弘南鉄道]]に譲渡された。