「黄金ナチ党員バッジ」の版間の差分

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それら諸問題の解決のため、1936年1月30日、黄金バッジは「金枠党員章総統功労章」として復活する。授与対象は[[アドルフ・ヒトラー]]が特別に功績を認めた者である。さらに[[ヴィルヘルム・カイテル]]元帥([[国防軍最高司令部]]総長)や[[ルートヴィヒ・シュヴェリン・フォン・クロージク]]伯爵([[ヒトラー内閣]]蔵相)などのように非ナチ党員であってもヒトラーが特別な功績を認めた者には授与されることがあった。これらのバッジの裏面には党員番号ではなく、アドルフ・ヒトラーのイニシャル「A.H」と、ナチスにとって特別な出来事のあった年月日(党政権樹立年月日等)が刻印されている。ナチ体制下では、[[ドイツ勲章]]と[[1923年11月9日記念メダル]]に次ぐ、第3位の功労賞とみなされた。
 
ヒトラーの黄金党員バッジの裏面の党員番号は「1」であった。他説として、ヒトラーの党員番号とされる「7」であるという説と、「7」に加えヒトラーのサインが刻印されているとされる説があるが、[[ドイツ労働者党]]時代ののヒトラーの党員番号は555番であり、1921年の離党、復党の後にヒトラーに3680番の党員番号が交付された。1925年のナチ党再建時に党員番号の再登録が行われヒトラーの党員番号は1番となった。ヒトラーは自殺前にこれを[[マダ・ゲッベルス]]に預け、その後、ソ連軍に没収されてロシア連邦公文書館におさめられていたが、2005年にここから何者かが盗んでいった。本物のヒトラーのバッジだとすれば300万[[ユーロ]](当時4億円相当)の価値があるとされる。
ただし、マダ・ゲッベルスも自殺後、[[親衛隊 (ナチス)|親衛隊]]員によってガソリンで焼却されているため、党員バッジだけが無傷のまま[[赤軍|ソ連軍]]に鹵獲されたと考えるのはいささか困難である。
 
尚、金枠党員章はコレクターに人気が高く、高額で取引されることから贋作が大量に流通している。その贋作バッジを専門にコレクションする研究家もいるほどである。