「稲荷山古墳出土鉄剣」の版間の差分

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Tataneus (会話 | 投稿記録)
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通説通り471年説をとるとヲワケが仕えた獲加多支鹵[[大王 (ヤマト王権)|大王]]は、[[日本書紀]]の大泊瀬幼武(オオハツセワカタケ)天皇、すなわち21代[[雄略天皇]]となる。
銘文に獲加多支鹵大王が居住した宮を斯鬼宮として刻んでいる、雄略天皇が居住した[[泊瀬朝倉宮]]とは異なるものの、当時の[[磯城郡]]には含まれていることにはなる。この通説に則れば、21代雄略天皇の考古学的な実在の実証となりうる。
[[田中卓]]は、斯鬼宮と刻んだ理由を雄略天皇以前の数代の天皇は磯城郡以外に宮を置いており、当時の人にとって磯城宮といえば雄略天皇の宮のことであったためであるとし、記紀で雄略天皇の宮を泊瀬朝倉宮と呼ぶのは後世に他の天皇が磯城郡に置いた宮と区別するためそう呼称したものであるとした。<ref>田中卓著作集(3)『邪馬台国と稲荷山刀銘 1985年 国書刊行会</ref>
 
=== オホヒコ ===