「ウジェーヌ・ヴォロ」の版間の差分

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*ゲヘナ(Gégèna<ref name="Mourir_a_Berlin_p221">Jean Mabire '''« Mourir à Berlin »'''(réédition : Grancher, 1995)p221</ref>:[[十六小地獄 (焦熱地獄)|焦熱地獄]]<ref name="Beevor_Berlin">[[アントニー・ビーヴァー]](著), Antony Beevor(原著), 川上 洸(訳) '''『ベルリン陥落 1945』'''(白水社、2004年)p516)p. 516</ref>)<br>
*[[マイスター]]・デア・[[パンツァーファウスト]](Meister der Panzerfaust)<ref>Ernst-Günther Krätschmer '''« Die Ritterkreuzträger der Waffen-SS »'''<br>
*NATION EUROPA VERLAG, 2003(第5版)p929
その後、クルケンベルクと共にシュプレー川を渡った者たちは[[小隊]]規模のいくつかのグループに分かれた。そのグループの1つは[[ヴィルヘルム・ヴェーバー (親衛隊隊員)|ヴィルヘルム・ヴェーバー]]SS中尉、[[フランソワ・アポロ]]とヴォロを含む12名ほどのフランス人義勇兵、ドイツ人SS兵士と[[スカンディナヴィア]]人義勇兵から成っていた。西を目指して進む彼らのグループには2輌のティーガー重戦車<ref group="注">原文表記は « two Tiger tanks. »(出典はSaint-Loupの著書p495)。[[ティーガーI|ティーガーⅠ]]か[[ティーガーII|ティーガーⅡ]]かは明示されていない。</ref>が随伴していた<ref name="Forbes_p459">Forbes, p459</ref>。
 
しかし、[[ティーアガルテン]]まで辿り着いた彼らは[[シャルロッテンブルク=ヴィルマースドルフ区|シャルロッテンブルク]]へ続く道を塞ぐ[[赤軍]]の強固な抵抗に遭遇した。この戦闘でティーガー戦車2輌は敵陣の突破に成功したが、ウジェーヌ・ヴォロ武装伍長は赤軍[[狙撃兵]]の[[銃弾]]<ref name="WSSFv2_Vaulot"/><ref name="Forbes_p459"/><ref>Landwehr(2006), p152</ref>([[頭|頭部]]命中)<ref name="WSSFv2_Vaulot"/><ref name="Agte_p164"/>によって[[戦死|命を落とした]]<ref group="注">[[アントニー・ビーヴァー]] '''『ベルリン陥落 1945』'''(白水社、2004年)p566の記述では、砲火にさらされたウジェーヌ・ヴァンロー(ヴォロ)は「付近の地下室で三日後に死亡した」とされている。しかし、この箇所の出典は明記されていない。</ref>。満21歳没。
 
== キャリア ==
 
=== 日本語 ===
*[[アントニー・ビーヴァー]](著), Antony Beevor(原著), 川上 洸(訳) '''『ベルリン陥落 1945』'''(白水社、2004年) ISBN 4-560-02600-9
*ヴィル・フェイ(著), Will Fey(原著), 梅本弘(翻訳) '''『SS戦車隊・下』'''(大日本絵画、1994年) ISBN 4-499-22630-9
*高橋慶史'''『続 ラスト・オブ・カンプフグルッペ』'''(大日本絵画、2005年) ISBN 4-499-22748-8
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