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[[毛馬内氏]]は、[[南部政康]]の五男・[[毛馬内秀範]]を祖とする[[鹿角郡]][[毛馬内村]]を[[知行地]]とした[[南部氏]]の一族であり、南部家で代々[[家老]]を務める家柄であった<ref>南部藩 参考諸家系図</ref>。
 
直道は祖・秀範の曾孫・毛馬内長囿の長男で、[[享保]]8年([[1723年]])に家督相続し、[[南部利視]]の近習となった。享保13年([[1728年]])には家老(加判役)となり、享保15年([[1730年]])には百石加増されて千石となった。享保16年([[1731年]])と享保21年([[1736年]])に年頭名代として将軍・[[徳川吉宗]]に謁見した。享保20年([[1735年]])には江戸詰であったり、享保20年12月16日の連書状にも江戸詰としるされている<ref>紫波六山会編 『鈴木佐太郎家と小屋瀬蒲田家の系譜』2015年。20p</ref>。
 
[[元文]]3年([[1738年]])に家老を退役、者頭となり、[[延享]]2年([[1745年]])には[[徳川家重]]の将軍宣下祝儀の使者を勤めた。のち中丸番頭を勤め、[[宝暦]]5年([[1755年]])に死去した。その跡を嫡子の毛馬内直興(直祝)が相続した。