「カコジル酸」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m 一部追加。
59行目:
 
== 歴史 ==
1760年、{{仮リンク|ルイクロード・カデ・ド・ガシクール|en|Louis Claude Cadet de Gassicourt}}が[[三酸化二ヒ素]]<span lang="en"> As<sub>2</sub>O<sub>3</sub> </span>と4当量の[[酢酸カリウム]]<span lang="en"> CH<sub>3</sub>CO<sub>2</sub>K </span>を化合させ、酸化カコジル<span lang="en"> ((CH<sub>3</sub>)<sub>2</sub>As)<sub>2</sub>O </span>や[[カコジル]]<span lang="en"> ((CH<sub>3</sub>)<sub>2</sub>As)<sub>2</sub> </span>を含む“[[:en:Cadet's fuming liquid|カデの発煙液体]]”と呼ばれる赤色液体を合成した。これが最初に合成された[[有機金属化学|有機金属化合物]]であると考えられている<ref>{{cite journal | title = Cadet's Fuming Arsenical Liquid and the Cacodyl Compounds of Bunsen | first = D. | last = Seyferth | journal = Organometallics | year = 2001 | volume = 20 | issue = 8 | pages = 1488&ndash;1498 | doi = 10.1021/om0101947 }}</ref>。
 
[[カコジル]]類の初期の重要な研究はマールブルク大学の[[ローベルト・ブンゼン]]によってなされた。ブンゼンは化合物について「この物質のにおいは瞬時に手足のうずき、さらには、めまいや失神をもたらす。これらのにおいに晒されると他の悪影響が顕れなくても舌が黒い膜で覆われることが特徴である」と述べた。彼のこの分野の研究はメチル[[ラジカル]]に対する知見を深めることにつながった。その後、ブンゼンはカコジルの爆発に巻き込まれて右目を失明した。