「三皇五帝」の版間の差分

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==皇帝という称号の発祥==
紀元前221年、[[秦]]の[[始皇帝]](当初は秦王)嬴政は、[[戦国七雄|他の6国]]を攻め滅ぼし中国統一した後、それまでの「王」という君主の称号より上位の称号を[[王綰]]・[[李斯]]ら重臣達に諮問させた。重臣達は、古代の五帝を超越したとして三皇のうち最上位である「秦皇」の称号を使うよう推挙したが、嬴政は自分がこの三皇五帝より尊い新たな存在であるという考えから、皇と帝を合わせた「[[皇帝]]」と言う新しい称号を造語し、自分に対する呼び名として使った。(『[[史記]]』など)
 
以降、中国の支配者は皇帝を名乗ることになる。