「戦車」の版間の差分

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(「戦後第〇世代主力戦車」、「第〇世代戦車」や「主力戦闘戦車」など誤解を生む表現の修正 ほか)
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===制式名称と愛称===
戦車の名称は、兵器としての[[制式名称]]と、軍や兵士達によって付けられた[[愛称]]とに大別される。愛称については配備国により慣例が見られる。アメリカは軍人の名前から(もともとは供与元の[[イギリス軍]]による命名則)、ドイツは動物の名前、ソ連・ロシアの対空戦車は河川名に因んでいる。イギリスの巡航('''C'''ruiser)戦車や戦後の主力戦車では「C」で始まる単語が付けられている。日本は旧軍では[[神武天皇即位紀元|皇紀]]、自衛隊では[[西暦]]からきた制式名で呼ばれ、前者の場合、カテゴリーや開発順を表す秘匿名称(例・チハ…チ=中戦車のハ=[[いろは順]]の三番目)もつけられていた。
 
==歴史==
 
===冷戦期 - 現代===
第二次世界大戦後第1世代の中戦車(第1世代主力戦車)は、アメリカでは[[90mm戦車砲 (アメリカ)#T54シリーズ|M36/41 90mmライフル砲]]、イギリスでは[[オードナンス QF 20ポンド砲]]、ソビエトでは[[D-10 100mm戦車砲#D-10T|D-10T 100mmライフル砲]]を搭載して開発された。しかし欧州正面では、東西双方の陣営がより重武装、重装甲の[[コンカラー (戦車)|コンカラー]]や[[M103重戦車|M103]]あるいは[[IS-3]]や[[T-10 (戦車)|T-10]]などの重戦車を並行配備していた。また、[[M24軽戦車|M24]]やその後継である[[M41軽戦車|M41]]といった軽戦車もその機動力によって偵察などの任務に不可欠であると認識されていた。
 
60年代半ばまではこの軽戦車・中戦車・重戦車という区分が軍事作戦上の意味を持っていたが、センチュリオン用に開発された[[ロイヤル・オードナンス L7|L7・105 mm 砲]]を装備する第二次世界大戦後第2世代戦車(第2世代主力戦車)が十分な火力と機動力を得たことから、重量とアンダーパワーによる運用の不自由さを持つ重戦車や、貧弱な武装と装甲しか持たない軽戦車、あるいは自走化された対戦車砲である駆逐戦車は存在意義を失っていった。
 
第二次世界大戦戦後第2世代戦車(第2世代主力戦車)が従来の軽戦車や重戦車の任務を統合していくなかで、従来の中戦車のみが主戦力として生き残り、その運用要求から第二次世界大戦戦後第3世代戦車(第3世代主力戦車)が開発されるに及んで、生産や配備、編制上での「主力」ではない、あらゆる局面において活用される戦車としての「'''[[主力戦車]]'''」 ('''MBT''') の概念が完成したとも言える。また、この過程において軽戦車や歩兵戦車などが果たしていた役割を担うための車輌として、[[歩兵戦闘車]]のような主力戦車よりも軽量の戦闘車輌が多数生み出された。
 
第二次世界大戦後の戦車の開発には、東西の[[冷戦]]が大きく影響している。双方で主にヨーロッパにおける地上戦を想定した軍備拡張が行われ、その中心である戦車の能力は相手のそれを上回る事が必須条件であった。そのため、[[ソビエト連邦|ソ連]]を中心とする東側諸国が新戦車を開発すると、その脅威に対抗すべく米欧の西側諸国も新戦車を開発するというサイクルが繰り返された。その結果、大きく下記の様に世代分類されている。米ソが直接交戦する事態こそ無かったものの、[[朝鮮戦争|朝鮮]]、[[中東戦争|中東]]、[[ベトナム戦争|ベトナム]]などでの[[代理戦争]]において、双方の戦車が対峙する事となった。
 
イスラエルとアラブ諸国が争った中東戦争ではしばしば大規模な戦車戦が繰り広げられた。特に1973年10月に勃発した[[第四次中東戦争]]ではアラブ側・イスラエル側併せて延べ6,000輌の戦車が投入され、複数の西側製戦車(イギリス製[[センチュリオン (戦車)|センチュリオン]]とアメリカ製[[M48パットン]] / [[M60パットン]])とソ連製戦車([[T-54]] / [[T-55]] / [[T-62]])が正規戦を行った。これは第二次世界大戦の[[クルスクの戦い|クルスク大戦車戦]]以来の規模となり、また[[対戦車ミサイル]]が初めて大規模に投入されて大きな脅威となった事から、以後の戦車開発に戦訓を与えた。
戦車の軽量化路線については、米国([[M1エイブラムス#形式|M1A3計画]])や中国([[99式戦車|99式改良0910工程]])が追従する姿勢を見せている。しかし、世界的な趨勢とまでは言い切れず、第4世代主力戦車の定義を決定するものとはなっていない。
 
2015年4月現在、ロシアでは[[アルマータ]]と呼ばれる装軌車両用の共通車体プラットフォームを基に次期主力戦車T-14を開発中である。T-14は乗員全員を車体前方に設けられた装甲カプセルに搭乗させることで乗員を弾薬から隔離し、視察照準砲塔の操作を車体内から遠隔操作で行う無人砲塔を採用していると見られており、10式戦車と同じく車長と砲手の視察照準にはモニター照準方式採用されていると考えられる。一方、ドイツでは[[2014年ウクライナ内戦|ウクライナ問題]]の影響から戦車の配備数を増やし近代化改修を進める動きがあり、T-14の配備がドイツとフランスの次期主力戦車計画にどのような影響を与えるか今後の動向が注目される。
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{{要出典範囲|世界的な非対称型戦闘の増加以前は140 mm 級の滑腔砲とそれに耐える装甲が「第4世代主力戦車」の基準として考えられてきたが、主力戦車同士が直接交戦するような可能性が減少しつつある21世紀現在では、[[非対称戦]](ゲリラ戦)への対応や[[PKO]]などに対応するための緊急展開能力の向上など、戦車に求められる能力が冷戦期のものとは全く異なったものになってきており、第4世代での基準が失われ、代わって最強の戦闘車両は何かという課題が問われている。|date=2010年3月}}
戦後、[[共産主義]]勢力の台頭と[[朝鮮戦争]]の勃発により日本に自衛力の必要性が認められて[[警察予備隊]](後の[[自衛隊]])が組織され、アメリカより「特車」としてM4中戦車などが供給された。また朝鮮戦争中に破損した車輌の改修整備を請け負った事などで、新戦車開発・運用のための[[ノウハウ (知的財産権)|ノウハウ]]が蓄積されていった。戦後初の国産戦車となった[[61式戦車]]は、当時の工業生産技術の限界もあり他国の水準からはやや遅れていたが、続く[[74式戦車]]、[[90式戦車]]は、世界最高水準に到達した主力戦車であった<ref group="出典">ストライクアンドタクティカルマガジン別冊「戦後の日本戦車」古是三春、一戸祟 カマド社</ref>。
 
20102000度から代に開発された[[10式戦車]]は、全国的な配備を考慮して90式戦車よりも小型軽量化しつつ同等以上の性能を有しているとされ、特に射撃機能やネットワーク機能などべトロニクスの進歩による戦闘能力の向上が著しい。10式戦車は耐用期限到達に伴い減耗する74式戦車の代替更新として[[10式戦車]]が2010年度から調達が開始されている全国的な配備を考慮して開発一方、2013年に25大綱と26中期防が閣議決定された10式ことで、今後、本州配備の戦車の重量約44トンと廃止され、全体の性能も90式戦車を超えると見られている。今後戦車は北海道と九州にのみ集約配備され、本州には戦車とは異なる新たなタイプの車両の[[機動戦闘車]]のみが配備されなくる。機動戦闘車は装輪車のため10式戦車と比して火力と防護力だけでなく戦術機動性に劣るが逆に戦略機動性は優れており、路上を高速で自走することにより74式戦車と同等の火力を素早く展開できる。本州配備の74式戦車が担っていた役割の一つ、普通科部隊への射撃支援の役目については新たなカテゴリーの車両である[[機動戦闘車]]が引き継ぐことになる。
 
2015年4月現在、防衛省では有人戦闘車両の無人砲塔化と、有人戦闘車両と無人戦闘車両の連携に関するべトロニクスシステムの技術研究が行われている。この研究は2020年度まで行われる。
 
==装備と構造==
:ディーゼルエンジンはガソリンエンジンより油種を選ばず、軽油以外でも灯油やジェット燃料などが使用できて運用が楽である。ディーゼル燃料である軽油はガソリンに比べると発 火点や引火点が高いので比較的安全であるが、絶対に引火しない訳ではない。加速性に優れる[[ガスタービンエンジン]]装備の戦車もあるが、燃費が非常に悪い上に技術的ハードルも高い<ref>21世紀現在では、戦闘用装甲車輌であってもセンサー類や[[C4Iシステム]]といった多数の電子機器を常時稼動させる必要があり、停車時に主たるエンジンを停止する間の補助電源としてAPUを搭載する必要が生まれている。</ref>。
:西側の戦車の多くは、現場でエンジンデッキを開放してエンジンや[[変速機]]を迅速交換できるパワーパック構造になっているが、東側の戦車ではそうした配慮はあまり行われていなかった。かつてはガソリンエンジンが使われることも多かったが、被弾時に引火・爆発しやすいため、第二次世界大戦後は次第に使われなくなった。
:第二次世界大戦時には戦車用という大出力のエンジンは開発が難しかったため、航空機用エンジンで代替することもあった。大戦中の戦車の多くは車体後部のエンジンから[[ドライブシャフト]]で前部の変速機に動力伝達する[[前輪駆動]]であったが、第二次世界大戦後はエンジンと変速機が直結した[[後輪駆動]]が主流となっている。一方で[[イスラエル]]の[[メルカバ (戦車)|メルカバ]]や[[スウェーデン]]の[[Strv.103]]の様に、乗員保護を優先してあえてエンジン・変速機を車体前方に配して装甲の一部としている例もある。
 
;7. キューポラ
 
;ウインカー
:第二次世界大戦後の日本・ドイツ・イギリス・フランスなどの戦車には、一般道路走行用の[[方向指示器|ウインカー]]が装備されている。戦車のウィンカーは車体に常備されたものと、取り外しできるものに大別できる。
:ウィンカーを持たない戦車が平時や戦線後方地域で走る際には、戦車長がハッチから半身を出し、周囲に[[手信号]]で曲がる方向を示す。
 
;車外装備品
:OVMとも呼ばれ、予備の[[無限軌道|覆帯]]や牽引用のシャックル・ワイアー、ハンマー、ピッケル、シャベル、消火器、雨よけシート、テントなどを車体外部に付けていることが多い。整備・修理に用いるジャッキや履帯張度調節器、工具も重要である。
:第二次世界大戦後は装甲外部に雑具箱をもうける戦車が増え、それに装備品が収納されるケースが増えた。これは雑具箱を一種の空間装甲として、成形炸薬弾(heat)への防御とするためである。第二次世界大戦時のドイツ戦車の砲塔後部にもゲペックカステン(Gepäckkasten)と呼ばれる用具箱がつけられており、中に工具などが入れられていた。現代の戦車も砲塔後部に荷積み用のバスケットを有しているものが多い。
:ソ連/ロシア戦車では悪路脱出用の丸太と多用途の防水シートが標準装備されている。予備履帯は防御上の効果を狙って、車体前面や砲塔側面にびっしりと取り付けられる場合があった。
 
[[ファイル:T-72-latrun-2.jpg|thumb|[[T-72]]戦車の増加燃料タンク]]
:21世紀現在では行なわれないが、航続距離を伸ばすために車内搭載の燃料タンク以外に補助の燃料タンクを車内に搭載されることがあった。また、車体の側面や後部に専用の補助燃料タンクが備えられるものもあった。たとえ引火点の高いディーゼル燃料であっても、高温の砂漠地帯等で気化したり、榴弾の爆発の高温では引火して延焼の危険があったため、非常時や戦闘時のために車内から操作して投棄可能なものが多かった。
:第二次世界大戦中に燃料補給の利便に[[ジェリカン]]が発明され、補助タンクとして車体外部に大量に搭載している例も見られた。第二次世界大戦後のソ連製戦車の場合、フェンダー上などにも露出した固定式の燃料タンクが搭載されたものが多いが、中東戦争では実際これらに着火してしまうことが多かった。
 
;潜水筒
 
;手摺
:第二次世界大戦中のソ連軍では不足していた[[装甲兵員輸送車]]の代わりに戦車や[[自走砲]]の車体や砲塔側面に手すりを付けることで、[[タンクデサント]]と呼ばれる跨乗歩兵を輸送した。敵からの攻撃目標とされる戦車の外面に取り付いた無防備の歩兵達は死傷率が高く、跨乗歩兵への配属は実質懲罰であった。見た目が勇ましいので、第二次世界大戦後も東側の[[プロパガンダ]]映像によく登場した。これ以外にも戦車への乗降用に設置された手すりもあり、現地改造で追加されたものも見られる。
 
;[[ツィンメリット・コーティング|ツィメリット・コーティング]]
:第二次世界大戦時に戦車攻撃用の磁力[[吸着地雷]]を開発したドイツ軍は、同様の兵器への対策として、[[硫酸バリウム]]におがくずや黄土顔料を混ぜた、「ツィメリット剤」を自軍の戦車へ塗布していた。だが連合軍は磁力吸着地雷を使用せず、生産の手間や重量を増加させるだけだったので大戦末期には中止された。第二次世界大戦後期のドイツ戦車には重量軽減や剥離防止のために独特のパターンが刻まれており、車体表面がギザギザして見えるのはこのためである。
:「セメントコーティング」とも云われ、「ツィンメリット」と表記される場合もある。「ツィメリット」、または「ツィンメリット」とは、この塗料を開発したツィンマー社にちなむ名称である。
 
 
;第二次世界大戦期
:第二次世界大戦中には、ソ連が[[避弾経始]]に優れた曲面形状の'''鋳造砲塔'''と'''傾斜装甲'''を装備した[[T-34]]戦車を投入、独ソ戦初期のドイツ側の攻撃を寄せ付けなかった。この後、第2世代主力戦車(いわゆる第二次世界大戦後第2世代戦車)まで、各国で避弾経始を意識した戦車設計が行われた。
 
;冷戦期 - 現代
[[イラク戦争]]後、米英を主体とした駐留軍の車両も対HEAT装甲である鳥籠状の構造物で車体を覆っているが、これは前述のように独軍が採用した防御方法であったもので、その後に同じ着想のものが世界中で採用された<ref group="出典" name="現代戦車のテクノロジー">日本兵器研究会編『現代戦車のテクノロジー』アリアドネ企画 2001年5月10日第2刷発行 ISBN 4-384-02592-0</ref>。これがRPGの弾頭を数十%の確率で不発、または著しく効果を削ぐと云われている。
 
また[[対戦車ミサイル]]対策として、箱状の'''[[爆発反応装甲]]'''を主装甲の上に追加する事もある。初期にはHEAT弾にしか効果がなかったが、現代の爆発反応装甲は[[APFSDS]]弾にも効果がある<ref>[[コンタクト5]]や[[FY-5]]など。</ref>。爆発反応装甲の作動時にはその爆発によって車体周囲の随行歩兵や自車の装甲に損傷を与える恐れがあり、作動後はその箇所の防御力は低下してしまう。新世代のミサイルに対する装甲防御力が弱い旧世代の主力戦車に、爆発反応装甲を全周に貼り付ける事で兵器寿命の延命を計ることがある。
 
==乗員==
===歩兵による対戦車戦闘の歴史===
{{main|対戦車兵器}}
第二次世界大戦中に[[成形炸薬]]による[[モンロー効果]]を利用した物が登場すると[[吸着地雷]]から対戦車手榴弾・銃砲利用の対戦車擲弾と続き、やがて個人携行可能な[[対戦車ロケット弾]]、対戦車[[無反動砲]]、携帯式対戦車用[[グレネードランチャー|擲弾発射器]]([[パンツァーファウスト]])が登場した。またロケットランチャーと組み合わせたものは[[バズーカ]]として知られる。これら小型軽量の対戦車兵器は比較的安価で使用法も単純である事から対戦車兵器の主流となった。また第二次世界大戦後になると誘導装置を備えた[[対戦車ミサイル]]が開発された。
 
1970年代には、この対戦車ミサイルにより歩兵の対戦車戦闘力が大きく強化された。[[第四次中東戦争]]中の1973年10月8日に発生したエジプト軍第二歩兵師団とイスラエル軍第190機甲旅団の戦闘では、エジプト軍が[[RPG-7]]や[[9M14 (ミサイル)|AT-3「サガー」]]を大量に装備して迎え撃った。随伴歩兵を伴っていなかったイスラエル軍戦車は対戦車攻撃を満足に防げず、約120輌の戦車うち100輌近くが約4分間で撃破された。
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