「安藤正容」の版間の差分

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幼少の頃は[[プラモデル]]や[[サッカー]]に熱中する少年であった。小学生の頃に[[クラシックギター]]を手にするが、途中で[[つのだじろう]]の[[漫画]]などに傾倒してしまい、Fのコードが押さえられるようになったのは中学3年生になってからであった。
 
[[マイルス・デイヴィス]]のレコードを聴いて[[ジャズ]]に関心を持ち、ギタリストの和田直に師事した。

大学入学後は明治大学モダンジャズ研究会メランコリー・キャッツで演奏活動する一方、ジャズギタリストの[[高柳昌行]]に師事した。
 
明治大学在学中の[[1976年]]11月に安藤と同じくメランコリー・キャッツのメンバーだった[[ドラマー]]の原田俊一(現・[[原田俊太郎]])<ref name="明治大学楽友会" />、明治大学ビッグサウンズソサエティーオーケストラで活動していた[[ピアニスト]]の[[袴塚淳]]<ref name="明治大学楽友会" />、安藤と1973年以来共演してきたベーシストの[[中村裕二 (ベーシスト)|中村裕二]]<ref>スクェアの3枚目のアルバム『[[Make Me A Star]]』に封入されている[[音楽評論家]]・[[岩浪洋三]]が執筆した解説文より。</ref>とフュージョンバンド[[T-SQUARE|THE SQUARE]]を結成すると<ref>なお結成後のメンバーの変遷については[[T-SQUARE#メンバーの変遷|T-SQUAREのメンバーの変遷]]を参照。</ref>、瞬く間に日本のフュージョン・シーンを代表する存在になっていった。