「ヴォルフガング (プファルツ=ツヴァイブリュッケン公)」の版間の差分

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'''ヴォルフガング'''(Wolfgang, [[1526年]][[9月26日]] - [[1569年]][[6月11日]])は、[[神聖ローマ帝国]]の[[領邦|領邦君主]]の1人。[[ライン宮中伯|プファルツ]]系[[ヴィッテルスバッハ家]]傍系の出身で[[プファルツ=ツヴァイブリュッケン]]公(在位:[[1532年]] - 1569年)、[[プファルツ=ノイブルク公]](在位:[[1557年]] - 1569年)。プファルツ=ツヴァイブリュッケン公[[ルートヴィヒ2世 (プファルツ=ツヴァイブリュッケン公)|ルートヴィヒ2世]]と[[ヘッセン方伯]][[ヴィルヘルム1世 (ヘッセン方伯)|ヴィルヘルム1世]]の娘エリーザベトの一人息子。
 
父が去した時はまだ幼かったため、叔父のループレヒトが後見人になり、[[1543年]]、ループレヒトにフェルデンツを譲ってプファルツ=フェルデンツ伯とした。1557年、遠縁のプファルツ=ノイブルク公[[オットー・ハインリヒ (プファルツ選帝侯)|オットー・ハインリヒ]]の[[ライン宮中伯|プファルツ選帝侯]]継承に伴い、ノイブルク公爵位を譲られた。[[1566年]]には[[オスマン帝国]]戦争へ出陣した。
 
1569年、[[イングランド君主一覧|イングランド女王]][[エリザベス1世]]の援助を受けて[[ユグノー戦争]]で混乱している[[フランス王国]]へ出兵、[[ブルゴーニュ地域圏|ブルゴーニュ]]を侵略したが反撃に遭い、戦死した。遺領は5人の息子に分割された。