「ペヨ」の版間の差分

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彼はプロとしてのキャリアを始めた初期に、イギリス人の従兄弟Pierrotの名前の間違った発音を元にしてペヨという名前を用い始めた。
 
ペヨは、ブリュッセルのAcademieAcadémie Royale des Beaux-Artsを卒業直後から仕事を始めた。小さなアニメーションスタジオのCompagnie Belge d'Animationで、[[アンドレ・フランカン]]、モリス、[[エディ・パープ]]ら、後の同業者と出会った。戦後、スタジオが閉鎖すると、同僚達は[[デュピュイ]]社へ移籍したが、数歳若かったペヨは受け入れられなかった<ref name=Weyer/>。しかし彼は新聞用の初めての漫画''La DerniereDernière Heure''を製作した他、その他にも多くの宣伝用イラストを描いて収入を得た。1949年から1952年にかけては、[[ル・ソワール]]紙に猫を主人公とした漫画''Poussy''を連載した。同じ新聞では、''Johan''という作品も連載している。
 
1952年、フランカンはペヨを1938年にベルギーで発刊したデュピュイ社の子供用漫画雑誌「[[スピルー]]」に紹介した<ref name=Weyer/>。ペヨはPierrotやBenoit Brisefer等の多数のキャラクターや脚本を執筆した。しかし彼の一番のお気に入りは、かつて連載していた''Johan''の続編となる『[[ジョアンとピルルイ]]』''Johan et Pirlouit''であった。さらにスピルーでは、''Poussy''の連載も続けた。
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